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平倉さんの詩についての短いレクチャーを聞いて、詩を土木と結びつけて考えるというのはなかなか難しいことだと思った。「詩はゼロ人称の心物の傾きを制作する文である」と聞いて、文、ゼロ人称、心物、は実感を持って分かったと思うが、正直「傾き」と「制作」の部分を理解できているか怪しい。
しかし「文」が、いわゆる文字で書いたような文でありつつ、光や水のもよう、動物の足跡、黄河から出てきた巨大な亀の甲羅の玄妙な謎の模様などをも含むと考えてよければ、詩も、立石寺や最上川の景観、空間、そこで一句、という全体を指している、と拡張して理解してもいいのかもしれない、と半分納得した。

なぜ半分なのかというと、以下の二つのことを自分はうまく考えられていない気がするからだ。

一つには、土木のアーキテクチャ性について…みたいなことである。私はグラフィック・デザイナーではあるが、絵やロゴをシコシコ描いているので、ヨーロッパやアメリカの友人には用語的な分類から言えばイラストレーター、つまりコンテンツの制作者とみなされることも多い。デザイナーの本来の職能というのはアーキテクチャを作ることであって、コンテンツやオブジェクトではなくそれらが流通するプラットフォームの設計者という認識が強いのだ。例えば日本語で装丁というと、一つの宝物のような本をデザインする仕事というイメージがあるが、ブック・デザインというと、その中に収まっている情報を適宜編集整理してコンポーズする仕事、という印象になる。
土木とはそういうデザインのうち、フィジカルな規模においておそらく最大のものであって、その中に情報どころか実際の人間や人間集団を含み、時間的スケールでは人の一生、あるいは何世代もの人生を含む。
私は土木的スケールのアーキテクチャについて本質的なのは、その中でそれがどのような心物の傾きを制作しうるかではなく、その中ではどのような心物の傾きしか制作されない設計になっているか、であると思う。
アーキテクチャ的権力の行使とはまさにそういうことなはずであって、人の発想や行動をどのように自由にし、効率化し、しかし同時に制限するか、を目的としてるものなのではないか。だから、私の理解が正しければ、例えば立石寺や首都高や防波堤の詩性が、その中の空間(文)をのみ指すとしたら、それはいかに空間的広がりがあっても、ある土木的空間を充填している諸コンテンツの詩性であり、一顆の林檎とか一輪の花をめぐる詩と本質的には変わらないものだと思う。
人が「この土木的構造の中では決して見たり考えたりできないものとは何か」と考えるとき、そしてそのアーキテクチャの中ではそれを考えられない構造になってると気づくときに、土木というのを本当に考えることができるのだと思う(つまり東海道新幹線が「通らなかった」ルートや、東急田園都市線でのみ育った者が見聞きしたことのない踏切というものについて…)。ここでいう詩というものはそういう、認識の外へも行けるものとして考えていいのだろうか?という謎がある。

もう一つは単純な疑問で、詩を散文と比べて考えると、詩は誦さむものだということで、このことも土木と繋げて考えられるんだろうか、ということ。平倉さんも詩経を引いていたが、孔子は詩経三百余の作品を選んだのちそれらを「絃歌した」、つまり伴奏付きで歌えるようにしたとも言ったらしく、確かに詩は文でありつつ、しかしまた礼楽やダンスや単純労働中のリズミカルな勢いづけや呻き(?)から出てきたものでもある。
私が視覚偏重の仕事ばっかりしているからか、文というものを図像とか視覚的な記号としてはすんなり理解できるけど、詩は多くの場合韻文であって、聴覚的で音楽的なものなので、その辺りをどう考えればいいかというと私には全然アイデアがない、という感じで、心細くなった。