20201007_RAUディレクター・ゲストアーティスト座談会

2020年10月7日、横浜国立大学のキャンパスに「都市と芸術の応答体2020」(以下、RAU)ディレクターの藤原徹平、平倉圭と、ゲストアーティスト・三宅唱の3名が集結。6月以降、20回以上のレクチャーを繰り返しながら多彩な受講生たちとともに行ってきた集団制作を振り返りつつ、RAUがどのようなプログラムとして始まったか、そして新型コロナウイルス感染症の影響でオンラインのプログラムとなる中でどのような議論と思考が重ねられ、この先にどう繋がっていくものになったかを語り合った。
様々な意味で象徴的な年となった「2020」。この年にRAUという集団が応答していったもの、そしてこの先の時代に示し得るものは何か。

進行・構成:安東嵩史(TISSUE Inc.)、写真:佐藤駿

その1 応答し合う「土木と詩」の時間
その2 「土木と詩」というテーマはどこからきたのか
その3 集団的身体から紡ぎ出されてきた言葉

202010071000_応答し合う「土木と詩」の時間 〜RAUディレクター・ゲストアーティスト座談会 その1

10月7日、横浜国立大学のキャンパスに「都市と芸術の応答体2020」(以下、RAU)ディレクターの藤原徹平、平倉圭と、ゲストアーティスト・三宅唱の3名が集結。6月以降、20回以上のレクチャーを繰り返しながら多彩な受講生たちとともに行ってきた集団制作を振り返りつつ、RAUがどのようなプログラムとして始まったか、そして新型コロナウイルス感染症の影響でオンラインのプログラムとなる中でどのような議論と思考が重ねられ、この先にどう繋がっていくものになったかを語り合った。
様々な意味で象徴的な年となった「2020」。この年にRAUという集団が応答していったもの、そしてこの先の時代に示し得るものは何か。

進行・構成:安東嵩史(TISSUE Inc.)、写真:佐藤駿

RAUの成り立ち

藤原徹平

藤原徹平:

最初に、RAUを始めたきっかけからお話ししましょうか。室井尚(*1)さんから文化庁に大学を基点としたアートマネジメントのプログラム応募があることを教えてもらったのですが、横浜国立大学では「都市イノベーション学府」や「都市科学部」のように、都市をテーマに学領域を融合させていこうという改革の流れがありました。これは、梅本洋一(*2)さんと北山恒(*3)さんを中心に進められた一大改革だったのですが、いつのまにか僕らの世代にバトンが渡ってきてしまった(笑)。

バトンを渡されて、誰となら対話できそうか学内で探っていく中で、平倉さんと出会って。一緒にプロジェクトをつくるような演習型講義の実験をするようになったんです。始めたのは3年くらい前でしたかね?

*1 美学者、記号学者。横浜国立大学名誉教授。

*2 映画批評家。元横浜国立大学教授。

*3 建築家。横浜国立大学名誉教授。

平倉圭:

そうですね。

藤原:

危口統之さん(*4)とか篠田千明(*5)さんに参加してもらって、非常にうまくいったから、もう少し大きな動きにしていきたいなと思っていたところだったんです。日本中で、地域芸術祭が開催されているけれど、都市政策や都市計画や土木とは関係があまり持てていない。もっと芸術の立場から、大きな都市創造の議論をすべきだなと思って、平倉さんとの企画会議でテーマを「都市政策と芸術」というふうに、仮に言ってみたんです。都市と芸術じゃなくて、都市政策と芸術。平倉さんは、その時点でどんな印象でしたか?

*4 演出家、劇作家、パフォーマー。横浜国立大学出身。

*5 演出家、劇作家、脚本家。

平倉圭

平倉:

私は美術が専門なんですが、美術館の中で作品を見るっていうことになんとなく違和感があって。自分が生きてることとうまく繋がってないという感じが前からするんです。かと言って、地方芸術祭でよくあるように、環境の中にポンとアート作品を置くという形にも違和感がある。「何もないほうが、ただこの土地を見るほうがずっと面白いんじゃないか」と思ったりします。

だから、RAUの構想を最初に聞いて、ある土地や都市のなかで「自分がどう生きているか」ということと不可分なところから生まれてくる芸術について考えを深められるんじゃないかと思いました。最初あまりアイディアはなかったんですが、そういうことをやってみたいなと。

それで、ゲストアーティストに来てもらいたいという話になって。三宅さんの名前が2人の間で挙がったんです。

藤原:

ちょうど2019年の12月にも、一度授業に来ていただきましたよね。

三宅唱

三宅唱:

そうですね。

藤原:

そこで三宅さんにレクチャーをしてもらって、『無言日記』や『THE COCKPIT』(2014)の話がものすごく面白かった。『無言日記』の積み重ねから『THE COCKPIT』の最後のシーンができたっていう話も、興味があった。僕の中では、「都市政策」という言葉が持ってる射程のなかに『THE COCKPIT』みたいなものが含まれているような気がしてるんです。『THE COCKPIT』は団地の一部屋でおきる出来事の映画なのだけど、その団地は都市政策がつくった。昔、フランス映画で『憎しみ』(1995)(*6)っていう映画があったんだけど……

*6 マチュー・カソヴィッツ監督。移民や低所得者が住むパリ郊外の公営団地において展開される一夜のドラマを手がかりに、フランスにおける差別の風景を三人の移民青年の視点から描いた。

三宅:

はい、知ってます。

藤原:

公営団地を作った都市政策の結果、地域で生まれるリアクションとしての「憎しみ」。作品自体はそんな社会への怒りを描いてるんだけど、そのリアクションも含めて都市政策なんじゃないかなと、僕は思っています。今、日本で都市政策と言うと、何か施策がうまくいったかいかないかってことばっかりが取り沙汰されがちだけど、人間が何かを作ろうとして人為的に環境を改変して、結果としてそれに対する暮らしとか文化とかリアクションが生まれてくるところまでが、都市政策の射程なのかなと。

だから、芸術というものが生きていく上で重要なことだと考えるならば、都市政策と芸術が応答し合う必要がある。日本では都市をテーマにした美術・芸術が扱う範囲が、現象とか表層的な部分に留まるという印象があったので、都市政策という、僕たち自身が無意識のうちに参画してしまっている開発行為に対して、芸術学の立場から意識的にアプローチするのは重要なことかなと。それを三宅さんと議論するのは、なんか面白いんじゃないかなと思ってしまったんです。

三宅:

正直な話、都市や土木、詩という言葉を使ってなにか考えることをこれまでしてこなかったので、RAUの今回のテーマは「遠い?」というのが出発点でした。

ただ、映画は都市や芸術の一部でもあるので、無関係なわけはない。また僕自身、いろんな事柄に出入りできるから映画をやってるというところもありますし、他のジャンルの方たちと話したりすることはこれまでも刺激になってきました。専門的には考えられませんが、映画なりの角度からちょっとでもその核心に触れられたらいいなと思って参加しました。

藤原:

まあ、三宅さんだけじゃなくて僕や平倉さんも本当に手探りでやってますから。その手探り感もいいなと思ってるんですけど。そういえば、RAUを始めたときに、ちょうど今年から平倉さんと僕の二人でやっている大学院の座学『都市と芸術』が並行していました。

平倉:

ああ、そうですね。

藤原:

水曜日の夜にRAUをやってるんですけど、木曜日の午前中に『都市と芸術』があるから2日連続で話す。だから、途中で大学で話したか、RAUで話したか、わからなくなったりもしたんですが、あるとき、「大学って、こういうことのためにあるのかも」と思えてきたんです。

授業というのは決まったカリキュラムに基づいて教えるものですが、その前日にRAUの議論の場でいろいろなインプットが起きるから、それについて考えた影響が、翌日の授業にも生じる。ただでさえ対話型の座学という形式で応答的なのに、前日に入ってきた急な思考に対してもリアクションしていく形になるし、さらにRAUの受講生が授業を聴講しに来てるから、よけい熱が冷めやらぬ状態で授業が始まる。そうなるとこっちも「授業だから」って決まりきったことを教えるわけにはいかないな……という緊張感があって、とてもよかったです。「土木」とか「詩」を途中で、明確に定義していったりしたのも、横で授業が動いていたからかもしれないなと思います。

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202010071000_「土木と詩」というテーマはどこからきたのか 〜RAUディレクター・ゲストアーティスト座談会 2

平倉圭:

三宅さんに『無言日記』のスタイルでワークショップをお願いしよう、とは最初に考えてたんですけど、その後コロナの影響でオンラインになって。先行きが何も見えなかったんですよね。その状態でワークショップの形式だけ決めこむより、まずは議論することを優先しようと。「土木と詩」っていうテーマをどの段階かで立てたんだけど、それも実体がわからないから、共有してじっくり考えようということで、最初の2か月くらいは「インプット期間」と位置づけて。藤原さんが「土木」というテーマで、「横浜の地形に対してどういうふうに物が配置されているか」っていう話をしたり……あと何があったかな。

三宅唱:

共同制作に関して、グループに別れて議論した回とか。

平倉:

それもありましたね。40人くらいいる参加者が、テーマについて毎回別のグループに分かれてとにかく話して、そのたびに自己紹介も起こるから、自己紹介を3、4回繰り返すみたいな。そこから各自の問題と固有の〈技〉も見えてくる。ハードといえばハードだったんだけど、結果的にオンラインの場所で、その場限りじゃない本当の問題が共有できた気がする。「この人たちとやってくんだ」っていう雰囲気を作っていった2か月でしたね。

藤原徹平:

最初に三宅さんからのミッション(*7)でみんなが写真を撮ってきたのって、いつだったっけ?

*7 第3回の講義で三宅唱が「写真を一枚提出してください」というお題を出した。

三宅:

7月末くらいですかね。オリンピックの開催予定期間が最初の撮影期間になっていたから。

藤原:

僕、「写真を一枚ずつ撮ってくる」の回に、想像よりずっと写真がよくて、すごくテンションが上がったんですよね。「いけるんじゃないかって」ってワクワクしました。

平倉:

写真一枚だけ、の他に条件がありましたっけ?

三宅:

今までインプットで話されてきたことに応答してみるっていう、それだけですね。

藤原:

それまで何の話してたんだっけ? 僕が平倉さんにロバート・スミッソンの『スパイラル・ジェッティ』(1970)のレクチャーをお願いしたのが第1回?

平倉:

第2回です。初回が『THE COCKPIT』(三宅唱監督、2014)の話。

藤原:

あ、そうだ。みんなで見たんだよね。

映画『THE COCKPIT』より ©︎Aichi Arts Center,Pigdom

平倉:

『THE COCKPIT』の最終シーンで“Curve Death Match”っていう曲を作っていくんだけど……アパートの靴箱の上で即興的に作ったボールゲームがあって、そのボールの軌跡が描くカーブをラップで歌う言葉が、川に沿ってカーブする高速道路の映像に重なる。あの高速はどこですかね?

三宅:

常磐道に向かう高速ですね。隅田川沿いを走り、堀切ジャンクションで左に曲がって今度は荒川と並走するあたり。

平倉:

ああ、隅田川がぐうっと深く曲がるところですね! その映像がすごい必然性で。東京の狭いアパートの中で即席のゲーム盤におけるカーブの戦いについて歌ってた言葉が、隅田川沿いをグウーッとカーブして走る映像にバシっと繋がってて。その段階で「土木と詩」っていう言葉が頭にあったかどうかわからないですけど、そういう高速道路の経験みたいなものと、ダイアグラムが引かれた靴箱上のボールの軌跡と、それをラップで歌う詩と、っていうスケールの異なる経験をカーブが繋いでいるのが面白いっていう話を、初回にして。その後、それと似たようなものがあるよっていう流れで、私が『スパイラル・ジェッティ』を紹介したんです。ロバート・スミッソンが螺旋状の突堤を土木工事で作るんだけど、それをヘリコプターに乗って上空からグルグル撮影しながら、自作の詩を重ねるという。そうした紹介からインプットを始めていったんですね。それで、第3回に向けて「じゃあ、写真撮ろう」って。「詩とは何か」っていうことは、まだ特に定義も議論もせず。

藤原:

そうでしたね。定義の話で言えば、RAUを始める前くらいから気になっていたのが、ヘーゲルによるの芸術の分類(*8)。この中で「第一芸術」が建築なんですよ。それからだんだん抽象度が上がっていって、最後に出てくるのが詩なんです。

*8 ヘーゲルは『美学講義』において、芸術を精神の自由の度合いに応じて建築→彫刻→絵画→音楽→詩の順に分類し、段階が進むほどに高度化していくという体系を構築した。

三宅:

はい。

藤原:

僕は建築家ですが、「建築」は建築に内在する問題では定義できないのではないかとずっと感じています。二十世紀の建築家はそれを定義するために「空間」という概念を作ったんですけど、その曖昧さというか掴みどころのなさは結果的に建築を難しくしてる、というかつまらなくしてると思う。空間では建築を完全には定義できないとしたら、ヘーゲルの言う「第一芸術=建築」を拡張したほうが良いのではという気がしている。

その建築に先行する、土木とか環境とか、まずそこを定義していかないと、建築の定義はうまくいかない。そこから先の問題も全部うまくいってないんじゃないかという気がしてくる。人間が捉えようとしてきた「人間の創造」ということの範囲がヘーゲルの時代と今では全然違うのに、未だに出発点がそこにあることに問題があるのではないかと、ここ2年くらい考えていて。

平倉:

うんうん。

藤原:

それで、平倉さんとの授業で「この授業の目的はヘーゲルが『第一芸術=建築』って言ったことを疑って、芸術の始まりのスケールを変えることにあるんだ」みたいなことを、学生に宣言したんですよ。「土木と音楽とか、土木と詩みたいな、次元の違う問題を繋ぐ論理を探すのが、これからの大学院生の仕事だ」ということを言って。そこでなんとなく、「土木と詩」という言葉を使ったんですよね。

平倉:

うん、両極みたいな。

藤原:

そうそう。両極、一番遠いものを繋いでみるっていうので、そこで出てきたキーワードです。最初はそれをこのRAUでやるという意識はそんなになかったんだけど、今まで繋がっていなかったスケール同士をつないでいくような概念を探すことなんじゃないかということで、それでロバート・スミッソンを紹介してもらったんです。

平倉:

それが、第3回までに起きたこと。

ロングショットの想像力を持つこと

三宅:

最初は土木も詩もよくわからないところから出発して、オンラインのコミュニケーションにも不慣れだったし、どうすれば「講師/参加者」のような壁を壊してフラットな雰囲気にできるかなと不安もあったんですが、みなさんと同じテーマで課題を作ったりそれについて話し始めたあたりから、どんどんRAUの面白さがわかってきた。「わからなさ」をすぐ解決しようと焦らずに、いろんな「わからなさ」を寄せ集め合ってそれを共有しながら進めていくことが楽しみになってきて、手応えを感じましたね。

藤原:

そう。あと、RAUの参加者のレベルの高さっていうのがあって。

三宅:

ええ、本当に。

藤原:

「写真のすごさとは何か」という話題が出たのは思い出深いです。参加者の高野ユリカさんがミニレクチャーをしてくれて、それを見た平倉さんから「今まで写真ってよくわからなかったけど、すごい写真ってこういうことなのか」とコメントが漏れてきて。そのレベルの応答が受講生からあるっていうのが、このRAUのすごさだと思いました。

平倉:

写真一枚課題のとき、高速道路を撮った写真について、藤原さんが「横浜の地形にどういうふうに高速道路が配置されているのか」という観点でコメントをされたんですよ。あれは、RAUが動いた瞬間のひとつだったかな。

藤原:

そうでした。例えば東京と横浜では、どちらも地形は豊かなんですけどリズムが違うという話で。地形のつくるうねりの襞のリズムが違うんですよ。横須賀や鎌倉と横浜もまた全然違う。横須賀だと、リズムが急になっていくというか激しくなっていて、谷が小さくなるんですけど、横浜くらいだとまだ国分寺崖線(*9)の影響で谷が緩やかなんですよね。その緩やかな谷の中を、土木構築物が縫うようにして計画されている。横浜って、巨大な貨物倉庫ととか高速道路がバンバン通ってるんですけど、よく見ると地形の谷を埋める形で高速が通ってたりとか、トンネルだったのが橋になって、またトンネルになって……みたいなことがよくある。地形のリズムに沿ってトンネルと橋を交互に置き換えながら土木が計画されてて、地形と土木の応答、ないしは融合みたいなことが、横浜の都市計画の特徴だと思っていたんですよね。そういうふうに見ると、実は世界中の土木と地形の関係に、なんというか一緒にダンスを踊るような、リズムや特徴があるんですよ。

*9 武蔵野台地を多摩川が10万年以上かけて侵食していった結果形成された、総延長30kmにもわたって段丘が続くなだらかな斜面地。

平倉:

うん。

藤原:

香港は香港らしい自然物との関係があるし、例えばパリなんかも都市が大理石の岩盤の上に乗っているし、ニューヨークも岩盤の上に乗っかっている。「その岩盤がセントラルパークに露出してる」っていう話を平倉さんがしてくれたけど、実は人間が住む場所にはそういう地球との行為というか操作があって、「結局、それが土木の本質なんじゃないか」というのがRAUの議論の中で、僕の中でも先鋭化していって、定義ができた。RAUでは今、〈土木〉を「土地の形質の変更にかかわる技」と定義してるんですけど、多分ここまで土木を端的に定義できたことは歴史上ないと思うんです(笑)。これは建築にも関わる大きな定義だったなと思っています。

平倉:

このへんで、三宅さんが「土木にピンと来た」みたいなことをたしかおっしゃっていた。

三宅:

そうですね。高野さんが撮った写真と藤原さんの話で、ああそうかとかなり視界が広がりました。〈土木〉について考えるときの想像力は、映画の言葉で言うならば、「ロングショットの想像力」が要求されるんだなと気がつきました。

藤原:

「ロングショットの想像力」?

三宅:

広い視界をどう持つか、もっと言えば、ある出来事やアクションの結果をそれが起きた空間の中にどう位置付けるか、ということでしょうか。言い換えると、アクションと空間を切り離さずに、その空間・土地がなければそのアクションは生まれていない、という認識から生まれるのがロングショット。もちろん、全てを一度に捉えることはできないので「フレーム外の想像力」というのも同時に要求されると思いました。「どこからどこまでを〈土地〉と呼ぶか」という問いを孕んだショット、言葉ならそれを想像するための言葉があるかどうか。

一方、土地の〈形質〉にフォーカスする時には、いわばクロースアップショットの想像力が要求される。『THE COCKPIT』で言うと、ラストの外の実景シークエンスがロングショットの想像力による〈土地〉の顕れだとすると、対して室内シークエンスはクロースアップショットによって捉えられた〈形質〉の顕れになっている、というかんじでしょうか。こんな風に自作を捉えたことはなかったので、RAUによって初めて生まれた認識ですが。とにかく、ロングショットとクロースアップショットの想像力の足し算が、〈土木〉を捉えるための1歩目になりそうだと、可能性を感じ始めたんです。それから、マノエル・ド・オリヴェイラの監督第1作『ドウロ河』や『画家と町』なども個人的には刺激になりましたし、土木を探すようにして映画を観たりしていました。

藤原:

今のお話で、三宅さんの『やくたたず』(2010)を思い出しました。札幌の物語なんだけど、札幌ではなく北海道の冬の海を撮ってるということがあの映画において画期的で。フレーム外にあるものへの想像力を喚起させるために、絶対に必要なシーンですよね。あれがあることで、札幌という都市に対するリアリティが全然違う。

そういうことは映画にけっこうあって、コーエン兄弟の『ファーゴ』(1996)も、大雪原のシーンに転換することによって、それまでなんとなく慣れてきた物語から全然知らない場所に連れて行かれて、自分との距離を突きつけられる。人間は必ず目で見ているものに慣れていって、しまうんだけど、一方でその目の外側への想像力も持てる。今の話を聞いてると、そこが三宅さんの映画のすごく本質的な部分で、見ている人にフレームの外を想像させるための技があるのかなと思いました。

平倉:

第4回から始まったワークショップで、10秒動画の課題が出ましたよね。ここまでの議論を踏まえて「土木と詩」をテーマに10秒撮ってこいと。私も、横浜の起伏が多いところに住んでいるから「よし撮るぞ」と思ったんですが、実際10秒で撮ってみると難しいんですよね。地形が撮れない。さっきの話でいうロングショットで撮るためには、すごく高いところに登るとか、クレーンで持ち上げるとか、すごーく長回しするとか、そういうことが必要なんだけど、10秒で徒歩だからそれはできない。体では今自分がどういう高さまで登ってきて息が切れてて、といったことがわかっているのに、それを撮ることができない。映像には自分の体感が写らないということに、まず「おお」と思った。

それでもなんとか撮ろうと思って急な階段を登ってみると、崖地の途中に突き出た、売りに出されている空き地があったんですよ。そこに引き寄せられるようにふらふら歩いて、下を覗き込むみたいにして撮って。そしたら、ワークショップでその映像が流れたときに、「なんだか飛び降りそう」という反応があったんですよね。体感は直に写らないんだけど、それでも何か撮れてるっていうか、伝わる部分がある。それがすごく面白かったですね。

三宅:

なるほど。たしかに、ある「撮れなさ」「写らなさ」に一回直面して、そこからどうブレークスルーできるのかと立ち止まった時に、RAUのメンバーたちの体や言葉が助けになってまた一歩前へと進めたような気がします。8月から9月にかけての出来事でしたね。

平倉:

さっき香港とかニューヨークの形質、土地の違いの話がありましたけど、直接には何も写っていないと思っていても、やっぱりそこにある具体的な何かが写って、蓄積されていくんですよね。みんなで10秒動画を撮ったあとにInstagramのアカウントを作って、撮影を続けて共有しようということになったんですが、そこに香港の参加者が撮った映像が溜まっていったりする。そうすると、私は香港に行ったことがないんだけど、なんだか香港という土地がだんだんわかってくる……みたいなことがある。一つひとつのショットに全部が写ってるわけじゃないんだけど、撮影が続いていくなかで、自分がいない土地の、目には見えない広がりが、他者の体と映像を通してちょっと体に入ってくるということが起き始めた感じがありますね。

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202010071000_集団的身体から紡ぎ出されてきた言葉 〜RAUディレクター・ゲストアーティスト座談会 3

平倉圭:

10秒動画をやった後に、みんなで撮りためた動画を素材として共有して、一人ひとりがこの素材全体から映像作品を作ろうということになった。それが最初の「RAUとしてのアウトプット」の試みですね。

藤原徹平:

自分で撮った映像だけまとめる場合と人の映像も一緒にまとめる場合で、感覚がだいぶ違うな……という話になりましたよね。自分で撮ったものはひとつの身体性で撮れてるからわかりやすいんだけど、人のものを混ぜていくと難しい、というような。
「何を撮るか」というテーマを設定していくと、人が撮った映像も素材として選択できるようになるということもわかってきた。そのあたりをもうちょっと深掘りしていくと、みんなで共有できる身体性とは何なのかということが見えてくるのかもしれない。

三宅唱:

途中で〈土木〉を動詞に落とし込んでいく、という試みをやりましたよね。あれはどういうきっかけでしたっけ?

藤原:

受講生のユニ・ホン・シャープさんが「濡らす」という話を出してくれたことでしたね。

三宅:

そうだ。僕が最初、「雨の日はぜひみんな撮ってください」っていうオーダーを出したんですね。というのも、雨は土地の上を流れていくから、雨の行方を辿るようなカットを並べて編集すると、その土地の輪郭のようなものが見えてくるんじゃないかな、と考えてみたんです。すると、ユニさんが「フランスは最近雨が降らないんで、濡らして撮りました」って言って。そのとき「そうか、『濡らす』。それが〈技〉なんだ」っていう発見があった。「雨が降る」という言葉に留まると自然現象をただ眺めている感じでしかないわけだけど、「濡れる」という言葉で表現すると土地の「肌」のディテールが官能的に浮かび上がってくるような感触がある。そこからさらに進んで「濡らす」という自動詞にしたときに、グッと〈技〉が見えてきた……〈技〉って人の能動的なアクションのことか!と。そして、これは「濡らす」以外にもあるんじゃないか!と盛り上がったんですよね。個人的には、この夏は「動詞を探し続けてた」という感じがあります。

藤原:

なるほど、「濡らす」というのが、人間による土地の形質の変更に関わっているってことですね。

三宅:

そうそう。そこからすぐ「掘る」という言葉が出て、穴掘りチーム(*10)が生まれたり。

*10 受講生から自発的に生まれた活動。ユニ・ホン・シャープと関優花による共同制作として、複数の受講生とともに、それぞれの活動拠点の地面に自分の身長の1/10の深さの穴を掘った。

藤原:

それで言えば「メンテナンス」の話題も出ましたね。最終的には今「ケア」っていう言葉になってるけど、要するに、土地に対する「ケア」っていうことが土地の形質に関わっているという認識。土地が常に不可逆的に変化していることに対してケアをする……維持しようとしたり、あるいはそれを積極的に変えようとしたり、補修したりとか、そういう変更に関わろうとすること自体が土木なんですよね。その前提を共有してないと「濡らすことは土木だ!」って言っても何だかわからないけど、あの「雨が降らないんで濡らしてみました」というユニさんの応答は本当にすばらしくクリエイティブだったと思う。

三宅:

つい先日みんなの作品をまとめて見ましたが、大げさでなく予想以上に興奮しました。RAUが始まったときには未知だった風景、知らなかった体験がここにあるぞ、と。

僕にとっての映画の体験というのは、単純に言うと「映画館に入って映画を見て外に出たら、さっきまでの風景が全然違って見える」かどうかが重要で。映画館に入る前は単なる通行人や風景だったものが「うわっ、あのおばあちゃん、超素敵」「夕方の光がこんなに美しいのか」みたいにリフレッシュされる感覚が訪れるかどうか、それが映画の面白さの僕なりの定義というか、皮膚感覚としてあるんです。最終日に上がってきた作品の大半でそういう経験ができたし、RAUという機会を通して明確に、自分が住んでいる街……街っていう言い方ももはや違う、土地や「大地」みたいなことなのかな、その認識が変わったという気持ちがある。それも、自分ひとりで変わったんじゃなくて、RAUのメンバーたちの作品によって、あるいは、とともに変わるという経験ができたと僕は思っています。

平倉:

今年は全員オンラインで、同じ物理的空間を共有していないという状況の中で、結果的に濃い共同性が生まれたのはすごいですよね。ワークショップの時間の後も「放課後」って言って、毎回のように三宅さんも残ってくれて、23時くらいまでずーっと、みんなで話をしているじゃないですか。

藤原:

けっこう、意識朦朧としてくるときもありますね。

平倉:

自分ひとりの中で追いかけきれないことも、とにかく話して考えるという時間が生まれて。やっぱり直接会えないからなのか、とにかく話すことを求める気持ちもあるし。ただ単に一緒にいて慣れ親しんだ感じが生まれてくるというよりは、何か具体的にアイディアを出したり、撮ったものを互いに見たりっていうことを通じて、考えとか興味、問題意識を媒介として人が時間をかけて繋がっていくということが、直接会ってないことでなんだかすごく、本当に起きたなという感じがします。私も大学でワークショップみたいな授業を今まで何度もやってきているんですけど、二、三日で終わっちゃうことも多くて、楽しいんだけど一過性の風みたいなものになってるような感覚があった。でも、今回は考え方とか、都市の見え方が変わるところまで本当にきてるなと思います。自分の体とか歩き方とか、転び方も、変わってきたと思う。

三宅:

そうですね。たぶんオンラインだろうがオフラインだろうが、大して目的がなければ”繋がり”感以外は特に何も生まれないと思うんですが、RAUには「土木と詩」というテーマがあって、しかもそもそも全員があんまりわかってない、というのがポイントだったんだなと改めて思います。一方的な伝達やレクチャーにはなり得ない。

自分自身も手探りだから、「俺、先週と違うこと言ってるな!」っていうことがたくさんあって。大丈夫かな?と立場上反省したりもしたときもあったけれど、別に誰も問題にしないし、むしろ、前に進んだことになるっていう(笑)。「これがアリな環境ってなかなかないよなあ」と思いましたね。しかも、会ったことない人たちとそういう信頼関係がいつのまにか生まれた。もともとの予定時間と放課後の時間でやり取りを重ねることで、僕もどんどん不安や気負いがなくなって皆さんを信頼して、一貫性はなくても考えついたことはとりあえず試しに言ってみるというモードに切り替えられたのが、本当に幸福なことだったと思います。

藤原:

こういう対話の場って、ありそうでないですよね。大学は評価を基準にした言葉を選んでしまうし、普通にプロジェクトで何かを作るときには締め切りがあったりするし、プロジェクトも実は最後に何を作るかが決まっていることが多いので、どうしても予定調和的な対話になっちゃう。だけど、RAUは本当に自由に話せて、しかもそれに対して創造的な応答が出てきて、素晴らしいなと思っています。これからこのプログラムを冊子にしたり、シンポジウムをしたりと「まとめ」に入るんだけど、この素晴らしさをまとめるためにどうすればいいのか、まとめる過程で何を選んで何を切り捨てればいいのか。いやー、ちょっと僕にはまだ全然わからないな……。

世界はなぜ〈詩〉を必要とするのか

平倉:

RAUのホームページには「YARD(ヤード)」という名前をつけましたが、これも途中で出てきた言葉で。横浜の沿岸は一帯が埋め立てられていて、コンテナとか資材とか、とんでもなくスケールが大きいモノの置き場所になっている。ああいう場所はすごく面白いよねという話になって。その資材置き場とか、作業場という意味の「ヤード」が途中からキーワードになっていったんですよね。で、ホームページを作ろうという話になったときに、RAUで作ってる素材をとにかくドンと置く場所というイメージがしっくりきたので、「ヤード」と名づけた。ウェブなので外部に対して開けてはいるんだけど、「これはこういうものです」ってプレゼンするような感じでも、少なくとも今はないのかなと。ここで生まれている素材を、何になるのかはまだわからないままにゴロゴロ置いてる感じですね。

三宅:

ものごとを伝えるには「物語」という形がまずありますよね。でも今回は「土木と物語」ではなく「土木と詩」であることがやっぱり参考になるのかなと思っています。途中で松尾芭蕉の話がありましたよね?

平倉:

はい。

三宅:

五七五の本文は知っていましたが、実はその前に前文があるんだっていうことを僕はRAUではじめて知って、参加者の作品も「前文プラス本文」が一つの型になっていきましたが、プロジェクト全体としてもその「前文プラス本文」の呼応関係みたいなものがうまく作れれば、伝わる回路になるのではないかな、と。詩という言葉は、人によって定義やイメージがあまりにまちまちなので安易には使えないというのも、今回の面白さでしたが。

平倉:

そうですよね。〈土木〉の定義があった次の回で、「じゃあ、平倉さん〈詩〉を定義して」って言われて。「いや無理だし、無茶だな〜」と思いつつも(笑)、この場所でやるなら、「詩」を言葉の表現に限定しない形で定義しなきゃなと思ったんです。

そこで仮に私が出した拡張的定義が、「詩は、ゼロ人称の心物の傾きを制作する文である」というものでした。ポイントはまず「文である」というところ。5世紀末頃に、中国南朝梁の劉勰という人が書いた『文心雕龍』っていう文学理論書があるんですが、その中で、〈文〉というのはこの地球上にあるパターンすべてのこと、山脈も川の流れも虎の模様も雲の色どりも、全部〈文〉なんだということが書かれている。そのありとあらゆる〈文〉の中に、人間の言葉もあるわけです。この観点だと、土木も〈文〉だということになる。

第二のポイントは「心物の傾き」で、これは思いや志といった「心の傾き」と、土地の傾斜といった「物の傾き」を区別せずに扱ってしまう。さっきの映像の話で私が崖の上で「おお」って思うとき、心も傾いているけど、体も傾いてて、それを支える周囲の環境も傾いているわけですよね。心はそもそも体の中だけにはなく、体の外の物質的環境に広がっているし、環境によって作られてもいる。その「心/物」にまたがる「傾き」の操作を、もう〈詩〉と呼んでしまおうと。これによって土木じたいを詩と呼ぶことが可能になる。

最後のポイント、「ゼロ人称」というのは日本文学者の藤井貞和の言葉を借りたんですけど、詩じたいから生み出される表現主体のことです。そこに、私としては「私の消滅」という意味も込めたい。例えば、松尾芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」っていう句、あれは先に地形の記述から始まるんですよね(*11)。山形の山間を水が流れていて、崖地にある滝やお堂が垣間見えて、最後にぐっと「水みなぎつて船あやうし」、と。そう述べてから、「五月雨をあつめて早し最上川」の句がくる。地形の描写から、地形を集めるように流れてきた雨で水勢が強くなり、水面が大きく盛り上がって、舟に乗ってる自分が傾く。危うい。そこでふっと、描写している芭蕉という「私」が消えて、「五月雨をあつめて早し最上川」という、世界全体の傾きを表した文になる。その世界には、自分と環境、心と物の傾きが両方含まれていて、だけど私視点じゃないっていう。句自体が生み出すこの、自分と環境、心と物をともに含んだ世界の眺めをゼロ人称と呼び、その傾きを作るのが詩だと定義してみた。土木もそのように、世界に心物の傾きを作るんじゃないか。――そういう様々な傾きの断片をとりあえず集めていく場所として、「ヤード」があると考えています。

*11 「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙ゝに落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。」(『おくのほそ道』より)

藤原:

僕としては、ただそこにマテリアルを提示する場であるということで、参加した人たちがこれから何かをやっていくときに「ヤード」が助けになるといいなというのがありました。

あともうひとつ重要なのは、例えば、フルクサス(*12)でもブラック・マウンテン・カレッジ(*13)でも何でもいいんですけど、芸術に大きな役割を果たした共同体とか集合体って、結局、何やってたんだかよくわからないんですよね。

*12 1960年代前半にアメリカの美術家ジョージ・マチューナスが主導し、欧米を中心に世界的な展開をみせた芸術ムーブメント、またグループを指す。日本では一柳慧、オノ・ヨーコ、小杉武久、塩見允枝子らが参加。美術家だけでなく詩人や音楽家などさまざまなジャンルの芸術家が同時多発的に関与し、のちのコンセプチュアル・アートの潮流へと拡散していった。

*13 1933年、米国ノースカロライナに設立された芸術の学校。ジョン・ケージ、バックミンスター・フラーなどを講師陣として招き、フラーのジオデシック・ドームの最初の製作(1948)、ケージの最初のイヴェントである《シアター・ピース#1》(1952)などを制作。教育機関とは言ったが、実質的には領域横断的・双方向的な思考と共同制作の実践の場であった。

平倉:

うん(笑)。

藤原:

だけどやっぱり「仲間だったんだな」っていう感じの、それぞれに通底する大きな世界観みたいなものを伴った芸術運動だなとは思う。我々もそういうところを目指してるんだと思うんですけど、今年の制作物が多少ちんぷんかんぷんなものであっても、ここに参加した人たちが作る、三宅さんがRAUに参加したから生まれてくる視点がそこにあるかもしれないし、平倉さんが作る次の言葉とか僕が作る次の建築とか、そういうものを後から見たときに「一番重要だったのはRAUなんじゃないか」みたいなことを、後世の、我々が作った制作物を分析する人が考えるためのマテリアルになっていればいい。「藤原が言ってること、ほとんどRAUの内容じゃないか」みたいな批評が出てきたら最高だなと思うんですよね。そうなりかねないくらいのインパクトを、僕にとってはRAUは持ってる。

三宅:

「三宅の映画には土木が映ってる」って言われてみたい!

藤原平倉三宅

(笑)。

藤原:

ひとりの中心的な思想家が何か言葉を書いて、それに沿って制作するという集団じゃなくて、みんなで「この世界とは何なのか」っていうことを一緒に考えているところに、このRAUの特徴がある。

松尾芭蕉が面白いんじゃないかと思ってると平倉さんに、ずっと言ってたのも、ほぼ勘で、しかし、平倉さんはそれを深堀して、すごい鉱脈を見つけてきてくれた。あの流れは本当に痺れました。

中谷宇吉郎(*14)が「科学とは何か」ってことを書いた短い文章で、科学とはあくまで人間の眼を通じた世界の姿で、本当は世界は科学が定義するようにはなってないかもしれないし、おそらくなっていないだろう……と明言しているんですよね。物理学が定義するすべての法則というのは「人間の眼にそう捉えられる」っていうこと。つまり〈文〉ですよね。科学とは〈文〉だって、中谷さんはほぼ定義している。それが科学の本質であり、限界であるっていう。だから世界を世界のままに語るのが科学だと思ったら大間違いだということを、『科学の方法』(岩波書店, 1958)という本で書いている。科学者はそこから理解しなければ始まらない、と。僕は東洋的な〈文〉の考え方に中谷さんの考えも含まれているように感じます。だとすると、この「ゼロ人称の心身の傾きを制作する文」っていうのは、科学の前提にもつながるすごく重要な定義かもしれない。

*14 物理学者、著述家。1936年に世界で初めて人工雪の製作に成功し、低温科学の発展に大きく寄与した。

次なる思考、次なる制作へ

藤原:

このプログラムは「都市と芸術の応答体2020」と銘打っているので、2020年度の事業というまとまりは一応ある。でも、受講生が「これから何をやっていきたい」という企画書を全員出してくれていたり、僕自身もRAUを通じて「次なる建築」「新しい土木」というようなことが見えてきた。これらの活動は単に2020年に収まるものではないと思っています。

特に、この間の講義で受講生の持田敦子さんが「土木は生活を仮定する」という定義を作品説明のなかで使っていたんですが、それを聞いて、仮定するものの将来の時間軸を考えることで土木の規模は変わるんだなとも思った。今日そこに座るだけでいいんだったら、ちょっと草を刈ってレジャーシートを敷く程度の形質の変更でいいけど、千年先まで保とうとすると大きなコンクリート壁だったり、塀を作らないと……となるわけで、生活を仮定したときの時間の長さみたいなことの議論が、都市政策では本来なされなくてはならない。それがない中で普段のあらゆる会話ができてしまっているのは、すごく問題だと思うんです。普通に「言葉が通じている」のに、それぞれの仮定が違うために「話が通じていない」というか。「千年という時間の単位に対して、なぜ今対応しなければいけないのか」という話を誰もしない。

なので、RAUの2020年がなにか解を提示し得たかどうかはわからないけど、少なくとも言えるのは、この2020年でひとつ区切りがつくとは到底思えないので、今年の議論を2021年、2022年と継続していかないといけないということですね。そうなると、三宅さんは来年忙しいんでしょうけど、三宅さんとも今年で終わりってことにはならないんじゃないかなと思う。

三宅:

お、おお?

藤原平倉三宅

(笑)。

三宅:

でも、そうしたいですね。今年の変化ぶりを思うと「置いてかないで!」って感じ。「今どうなってるか、ちょっと教えてよ」みたいに追っかけ続けたいです。

藤原:

今の自分は、来年違う人と、全然違うRAUをやるとか、ちょっと想像できない感じにはなってます(笑)。

三宅:

僕個人としては、2020年にこれがスタートしたというのも大きかったのかもしれません。自分の中にこの10年くらいあった生きてることのモヤモヤみたいなものが、RAUによって少し解決したような気がするんです。

そのモヤモヤは、大きくふたつあって。ひとつは、昨日あったことすらもう誰も覚えていないような時間の早さというか「現在しかない」という感覚。もうひとつは、この世にはすでにあまりにも映像がたくさんあって、その価値もどんどん暴落しているということ。それが重なって、「今、ここ」がどうでもいいものになっちゃってモヤモヤする、というかんじです。そこで、RAUの議論の途中で、藤原さんがコンポジションに対する批判についてお話されたことがありましたよね?「切り取った『今』だけで物事を扱うことにはもはや何の意味もないんじゃないか」とはっきり口にすることで、突破口が見えた。

そういうことを踏まえて今回の「土木と詩」について考えたときに、さっき言った「この外にもあるんだ」っていう空間的な広がりと、形質のディテールの広がりと、あと時間の前後の広がり……「形質の変更」という言葉が定義にありましたけど、変更するってことは前と後があるってことだから。つまり、「今」目の前にみえている物事を支える空間的・時間的広がりをどう捉えるかということが、モヤモヤから自分を救える方法かもしれない、と。

例えば今朝、横国のキャンパスを一緒に歩かせてもらっただけでも、以前ならきっと「ああ、緑がいっぱいできれいだな」と思うだけだったのが、藤原さんのガイドによって、ここがもともとゴルフ場の敷地で、時代とともにあれができてこれができて、今後はきっとこうなって……という広がりのなかで見られるようになり、するともう全然見えている世界が変わるし、土地の広がりと時間の広がりで自分の体も変わるというか、位置付けが変わる。きっとこれはキャンパス内の話に留まらず、もっと大きな、例えば神奈川県単位で「海と山との間に〈今、ここ〉がある」という感覚にも繋がっていくんだと思います。そういう経験を通して、不思議とRAU以前のモヤモヤが解消されたというか、「今後はそのようにしてものを見ていきたい」っていう感覚が明確に生まれたんです。なので、RAUはこれからも、それをより広げてみていく、よりディテールをみていくようにして進んでいくんだろうなと、僕自身は勝手に期待してます。

この日は座談会の前に、藤原徹平が横浜国立大学の沿革やキャンパスの成り立ちを説明しながら学内を歩く見学ツアーが行われた。

藤原:

平倉さんは?

平倉:

今の話がいい感じだったので、私は別にいいかな……。

三宅:

ちょっと(笑)。

平倉:

キャンパスの話も入ったし(笑)。いや、本当にね、私もRAUが始まってからすごく歩くようになったんですよね。近所の地形を縦断して、無意味に登り降りしたり。

藤原:

修験道ですね。

平倉:

そうそう。でも、登り降りすると土地の形が体に入ってきて「ここは見通しの効かない崖地の細い階段だけど、大きい起伏のこの辺にきっといるんだな」とか「この山の向こうにも、もうひとつ谷と山があって、その後ろに海があるんだな」みたいに、見えていなくても「ある」っていうことがわかる。そう感じるのが楽しくなるし、大事なのはそういうことなんだなと思いましたね。

藤原:

明確な中心もなく全体的に手探りだったからこそ、本当に「学びたい」「考えたい」「このモヤモヤについて更に深く掘り下げたい」という人がたくさん集まって、それをやれる場所になったなという印象があります。自分が素直に感じてる疑問とか悩みも正直にオープンにして、そこからみんな手探りで映像を撮ったり、考えたり、言葉にしたりしていて。漠然とした言い方ですが「いい感じ」だなと。でも、この「いい感じ」が作れたのはRAUの財産ですよね。

三宅:

そうですね。日本だけじゃなくフランスやらベルリンやら香港やらにいる、きっと出会わなかった人が同じ問題についてめちゃくちゃ真剣に考え続けてくれるっていう安心感がすごくあった。

藤原:

そう、安心感がありますよね。信頼と安心感が。

三宅:

そうそう。モヤモヤの内容は個々で違うとは思うけれど、何らかの「わからなさ」を抱えている方たち同士で、自分の体と、プラス、他の人の体を使って一緒に考えるっていう感じがありましたね。

藤原:

うん。みんなの思考はこれからも深まっていくと思いますよ。この間の受講生の板谷幸歩さんの映像もショッキングだったし。

三宅:

あれ、ショックだったなー。悔しくてしょうがない。

藤原平倉三宅

(笑)。

三宅:

ロングショットとクロースアップショットをいかに組み合わせるかこそが勝負だろうと、さっき話したように僕は一度すっかり結論づけかけていたのだけれど、おもいっきり覆されましたからね! その手があったか、すごい、と。ロケ地の選択ぶりといい、撮影・編集の選択ぶりといい、強烈な刺激を受けました。

藤原:

考えるだけじゃなくて全員で感じて、それを形に定着させようとする。本当にいい共同体になっているなあという感じがあるので、楽しいですよ。集団としての体として、いつまでも生き続けてほしいなと思います。

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土木についてのノート – クラザンヌ採石場跡

中間ミーティングの日。
私は繋がったり切れたりするインターネットに若干イライラしながら、ボルドーからパリへ向かう電車の中にいた。やっと繋がったかと思うとすぐトンネル。途切れ途切れの情報によると、藤原さんも移動中で新幹線の中らしい。良好な接続環境がとても羨ましくなる。ジャパニーズテクノロジーという言葉が思い浮かんで窓の外に目をやると、こっちは暑さで干からびた畑しか見えない。これじゃあ繋がらないよなー。接続を諦め一気に暇になり、iPhoneの写真をスクロールする。
〈写真を見ながら、土木についてぼんやり考える。前半のワークショップで一番リアリティがあったのは、「都市では土木が映らない」ことだった。完成された都市の土木は隠されているか、もしくは忘れ去られている。そして何より、土木はでかい。でかすぎて掴めない。土木のスケールを前に、個人の身体は何だか無力で頼りないものに感じてしまう。私は大都市で生まれ育ったから、今まで「土木の経験」というものをほとんどしたことがないし、考えたこともなかった。今回映像を制作しながら、土木とは? と考えていたのだけれど、結局のところそれが何なのかしっかりと掴むことはできなかったのだ。〉
バカンス中撮りためた写真のうち、フランス西部クラザンヌ採石場跡を訪れた時のものが目に入った。1948年に採石がストップして以来、採石場には植物が自生し、現在では自然保護区となっている。私が訪れた日はとても暑かったが、植物が茂る採石場跡へ続く階段を降りるうちに、全身の皮膚がひんやりとした空気に包まれたのを覚えている。
案内人と複数の採石場跡を見学しながら進むと、壁面にぽかりと開いた、3立方メートル ほどの穴のような空間に辿り着いた。当時の採石職人が、息子と二人で三日ほどかけて拓いた場所らしい。ちなみにこの採石場では、機械を使わずピックというツルハシに似た道具で石を掘っていたのだけれど、三日でこの大きさというのは相当早いペースのようだ。 彼らが三日以上掘り進まなかったのは、Silex(フリント)が出てきたためである。Silexが入っている石のブロックは質が悪く、これ以上掘っても良いブロックは採れないと判断したのだろう。
空間へ入り右下の壁には小さくPaulというサインが残っている。しかしながら、その控え めなサインより断然心を奪うのは、空間内のいたるところに存在する、石が削られた跡だ (実際、削り跡のみを夢中になって撮っていて、サインの写真を撮ることをすっかり忘れてしまった)。一つのブロックごとに、長い線状のくぼみの群れが、ある一定の方向へと 力強く規則的に流れている。空間の中にいると、削り跡の持つ流れの一部になり、その勢いにぶわりと揺り動かされるような感覚が芽生える。

削り跡は、装飾的な意味でここにあるわけではない。ここでの採石方法を簡単に記すと、まず、採りたい石の輪郭線上にピックで深く溝を掘っていく。この段階で、石に削り跡がつく。ある程度掘ったら、木のくさびを溝に差し込み濡らす。水分を吸った木材は膨らみ、その圧力で石が割れる。その後、先端がL字状の棒を溝に差し込み、石を引き出す。 つまり、削り跡は、石を引き出して初めて人の目に晒される。石を掘っている最中にそれ を見ることは不可能なのだ。
空間は生茂る木々のおかげで薄暗いが、採石場が稼働していた当時は植物が全く生えておらず、強い日差しが直接岩場に照りついていたという。また、稼ぎは良いが過酷な肉体労 働のせいで、採石労働者の寿命は他の人よりも短くキャリアの終わりには盲目になること
も少なくなかった。削り跡に対し、それが作られた段階では、視線は意味をなさない。今私が削り跡を見るとき、私はピックを振るった職人の動作に巻き込まれている。
壁を触ってみると、ひんやりと冷たく、湿ってはいるが確かに堅い石。人の力が、こんなに堅固な表面へ跡を残せるなんて。驚きだ。
案内人によると、当時の職人の動作は大きく分けて二つある。腰を捻りピックを水平に振るうのがひとつ目。ふたつ目は背骨を前後に動かしピックを垂直に振るう動作である。この二つの動作を幾度も繰り返し、岩を掘ったらしい。何かをするために設えられた場所
(劇場など)と違い、この空間は、「掘る」動作をすることで作られている。繰り返し行われた動作が空間を拓く。空間には職人の動作の方向と勢いがそのまま刻印 (Empreinte)されているようだった。ピックの一撃一撃が一気に迫ってくる。私は本当に圧倒されてしまった。空間から発される強固な、「掘る」という意志に。
もしかすると、これが土木なのではないか?
パリに戻りこの文章を書いている。自然に対する人間の意志が土木であるならば、都市で カメラに土木が映らないのは納得がいく。大抵の場合、都市は自然の荒々しさに人間の生活が直接触れないようできているからだ。都市では「ザ・土木」が見えずとも、メンテナンス工事の時などにその片鱗が見えるのだろう。
では、自分の立ち位置=都市から土木に近づくための身体とは一体何か? 私にはまだ分からない。しかし、バカンス出発前と違い今は、クラザンヌの削り跡の堅固な感覚が私と共にある。

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つながっている=習慣、都市は習慣を持つ

8月1日のミーティングで「つながっている」ということを何を根拠に言い表したら良いのか難しいという話があった。私は「つながっている」とは習慣から生まれるものだと思う。
そして、都市の動画が「つながっている」ように見える限り、都市は習慣を持つと言える気がする。
話の中でジャズやヒップホップの話が出てきたので(あの話は音楽の話かもしれないが)、まず「つながっている」ことをダンスから考える。この動画を見て欲しい。一番分かりやすいところを時間指定してある。

「山田優、朝のスキンケア術と素肌感を生かしたメイクアップを紹介。 | Beauty Tutorial
supported by CHANEL | VOGUE JAPAN」
03:36
04:18
[Massage ASMR] 얼굴축소 + 수분탄력 마사지 / Facial massage / Korean Spa aroma
massage
0:36

これらの慣れた手捌きを私は直感的にダンスだと思った。滑らかで無駄のない、迷いのない動き。見ていると、まるで自分が施されているような気分になって気持ちいい。
次に、普通「ダンス」と呼ばれるダンスの動画を 2 種類例に挙げる。

William Forsythe-Solo-Noah De Gelber
Danzel (INA) vs Calin (JPN) | 1v1 Final Battle | Waack To Life Vol. 1 Jakarta, Indonesia |
RPProds
2:50

こちらの二つの動画を「ダンス」じゃないと思う人はいないと思う。William forsythe はコンテンポラリーダンス、下の wacck battle はストリートダンスであり、スタイルは全く異なるが、それでもこれらを「ダンス」として一括りにまとめられている。
ではこれら4つの「ダンス」の共通点は何かと考えたとき、「習慣」という言葉が思いついた。メイク動画の人はメイクに慣れているだろうし、フェイシャルマッサージの人も毎日の仕事だからその手の動きに迷いがない。即興のダンスも同じだ。フォーサイスもカリンも今この場の流れで踊っているが、日々の練習=習慣が基礎にあるために、即興で踊ってもつながっているように見える。ギクシャクして見えない。逆に下手な人は迷いが見える。振り付けももちろん習慣だ。練習してその流れを体に染み込ませる。
つまり、その主体に習慣があるから、つながって見えるのであり、そのつながっている様子を我々はダンスと呼ぶのではないだろうか。
習慣=ダンスなら、日常全部ダンスじゃん、でも日常全部ダンスだとは思えない、と思う人もいるかもしれないが、そこは「つながりのなめらかさ」の程度の問題だと思う。コンテンポラリーダンスやストリートダンスをまごうことなき「ダンス」だと思えるのは、彼らが滑らかさを追求しているからであり、我々も極上のなめらかさが追求されたものを「ダンス」だと認識して消費しているからだと思う。それは私も同じで、メイク動画もフェイシャルマッサージの動画もクリームなどの力を借りてスムーズに手が動いているところ見て「あれ、これダンスじゃん・・・?」と気づいた。わかりやすい「なめらかさ」=デフォルメはダンスだと気づきやすい、というだけであって日常はダンスで溢れていると思う。

参考:GREEK SALAD Dance Event’15(1). Aya Sato & Bambi [Skinny Patrini ‒ You Suck
My Face]
4:02

このつながり=習慣を都市の動画の問題に発展させる。都市を写した動画に対して、自分がとった動画を適当に組み合わせても、他人が撮った動画を組み合わせても「つながっている」ように見えるという実感があるのとしたら、それは「都市」が習慣を持っていると言っていいのではないだろうか。
メイク動画もダンスの動画も、習慣を持っているのは我々ではなくその動画の中で行為を行なっている主体であった。とすれば今回都市の動画を見て「つながっている」と感じた
のであれば、習慣を持っているのは動画の中の主体であり、「都市」の方だろう。
都市の動画は編集されているが、ダンスも編集である。手を上に上げる、右足を踏み込む、直後に左足を大きく開く、ダンスはこのような動作を組み合わせて、編集して成り立つ。
ただ、ここで鑑賞者の習慣の問題も浮上する。鑑賞者は「習慣」を持たなくても、観察物の「習慣」を見抜くことができるのだろうか。例えば私が「ダンス」の習慣に気づいたのは私がストリートダンスの経験者であり、メイクをしたことがあり、フェイシャルマッサージの経験がたまたまあったからかもしれない。経験したことのない「習慣」に出会った場合、観察者がその「習慣」に気づくことができるのだろうか。
逆に、「都市」の習慣に気づくことができたのは我々にも「都市」の経験があったかもしれない。観察者の経験と、対象物の習慣が呼応して、つながっているように見えるのかもしれない。
都市が習慣も持つ限り、都市の動画はつながり続ける気がする。巧拙はあれど、つながらない、ということはないのではないだろうか。

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平倉さんの詩についての短いレクチャーを聞いて、詩を土木と結びつけて考えるというのはなかなか難しいことだと思った。「詩はゼロ人称の心物の傾きを制作する文である」と聞いて、文、ゼロ人称、心物、は実感を持って分かったと思うが、正直「傾き」と「制作」の部分を理解できているか怪しい。
しかし「文」が、いわゆる文字で書いたような文でありつつ、光や水のもよう、動物の足跡、黄河から出てきた巨大な亀の甲羅の玄妙な謎の模様などをも含むと考えてよければ、詩も、立石寺や最上川の景観、空間、そこで一句、という全体を指している、と拡張して理解してもいいのかもしれない、と半分納得した。

なぜ半分なのかというと、以下の二つのことを自分はうまく考えられていない気がするからだ。

一つには、土木のアーキテクチャ性について…みたいなことである。私はグラフィック・デザイナーではあるが、絵やロゴをシコシコ描いているので、ヨーロッパやアメリカの友人には用語的な分類から言えばイラストレーター、つまりコンテンツの制作者とみなされることも多い。デザイナーの本来の職能というのはアーキテクチャを作ることであって、コンテンツやオブジェクトではなくそれらが流通するプラットフォームの設計者という認識が強いのだ。例えば日本語で装丁というと、一つの宝物のような本をデザインする仕事というイメージがあるが、ブック・デザインというと、その中に収まっている情報を適宜編集整理してコンポーズする仕事、という印象になる。
土木とはそういうデザインのうち、フィジカルな規模においておそらく最大のものであって、その中に情報どころか実際の人間や人間集団を含み、時間的スケールでは人の一生、あるいは何世代もの人生を含む。
私は土木的スケールのアーキテクチャについて本質的なのは、その中でそれがどのような心物の傾きを制作しうるかではなく、その中ではどのような心物の傾きしか制作されない設計になっているか、であると思う。
アーキテクチャ的権力の行使とはまさにそういうことなはずであって、人の発想や行動をどのように自由にし、効率化し、しかし同時に制限するか、を目的としてるものなのではないか。だから、私の理解が正しければ、例えば立石寺や首都高や防波堤の詩性が、その中の空間(文)をのみ指すとしたら、それはいかに空間的広がりがあっても、ある土木的空間を充填している諸コンテンツの詩性であり、一顆の林檎とか一輪の花をめぐる詩と本質的には変わらないものだと思う。
人が「この土木的構造の中では決して見たり考えたりできないものとは何か」と考えるとき、そしてそのアーキテクチャの中ではそれを考えられない構造になってると気づくときに、土木というのを本当に考えることができるのだと思う(つまり東海道新幹線が「通らなかった」ルートや、東急田園都市線でのみ育った者が見聞きしたことのない踏切というものについて…)。ここでいう詩というものはそういう、認識の外へも行けるものとして考えていいのだろうか?という謎がある。

もう一つは単純な疑問で、詩を散文と比べて考えると、詩は誦さむものだということで、このことも土木と繋げて考えられるんだろうか、ということ。平倉さんも詩経を引いていたが、孔子は詩経三百余の作品を選んだのちそれらを「絃歌した」、つまり伴奏付きで歌えるようにしたとも言ったらしく、確かに詩は文でありつつ、しかしまた礼楽やダンスや単純労働中のリズミカルな勢いづけや呻き(?)から出てきたものでもある。
私が視覚偏重の仕事ばっかりしているからか、文というものを図像とか視覚的な記号としてはすんなり理解できるけど、詩は多くの場合韻文であって、聴覚的で音楽的なものなので、その辺りをどう考えればいいかというと私には全然アイデアがない、という感じで、心細くなった。