202010071000_応答し合う「土木と詩」の時間 〜RAUディレクター・ゲストアーティスト座談会 その1
10月7日、横浜国立大学のキャンパスに「都市と芸術の応答体2020」(以下、RAU)ディレクターの藤原徹平、平倉圭と、ゲストアーティスト・三宅唱の3名が集結。6月以降、20回以上のレクチャーを繰り返しながら多彩な受講生たちとともに行ってきた集団制作を振り返りつつ、RAUがどのようなプログラムとして始まったか、そして新型コロナウイルス感染症の影響でオンラインのプログラムとなる中でどのような議論と思考が重ねられ、この先にどう繋がっていくものになったかを語り合った。
様々な意味で象徴的な年となった「2020」。この年にRAUという集団が応答していったもの、そしてこの先の時代に示し得るものは何か。
進行・構成:安東嵩史(TISSUE Inc.)、写真:佐藤駿
RAUの成り立ち
藤原徹平:
最初に、RAUを始めたきっかけからお話ししましょうか。室井尚(*1)さんから文化庁に大学を基点としたアートマネジメントのプログラム応募があることを教えてもらったのですが、横浜国立大学では「都市イノベーション学府」や「都市科学部」のように、都市をテーマに学領域を融合させていこうという改革の流れがありました。これは、梅本洋一(*2)さんと北山恒(*3)さんを中心に進められた一大改革だったのですが、いつのまにか僕らの世代にバトンが渡ってきてしまった(笑)。
バトンを渡されて、誰となら対話できそうか学内で探っていく中で、平倉さんと出会って。一緒にプロジェクトをつくるような演習型講義の実験をするようになったんです。始めたのは3年くらい前でしたかね?
*1 美学者、記号学者。横浜国立大学名誉教授。
*2 映画批評家。元横浜国立大学教授。
*3 建築家。横浜国立大学名誉教授。
平倉圭:
そうですね。
藤原:
危口統之さん(*4)とか篠田千明(*5)さんに参加してもらって、非常にうまくいったから、もう少し大きな動きにしていきたいなと思っていたところだったんです。日本中で、地域芸術祭が開催されているけれど、都市政策や都市計画や土木とは関係があまり持てていない。もっと芸術の立場から、大きな都市創造の議論をすべきだなと思って、平倉さんとの企画会議でテーマを「都市政策と芸術」というふうに、仮に言ってみたんです。都市と芸術じゃなくて、都市政策と芸術。平倉さんは、その時点でどんな印象でしたか?
*4 演出家、劇作家、パフォーマー。横浜国立大学出身。
*5 演出家、劇作家、脚本家。
平倉:
私は美術が専門なんですが、美術館の中で作品を見るっていうことになんとなく違和感があって。自分が生きてることとうまく繋がってないという感じが前からするんです。かと言って、地方芸術祭でよくあるように、環境の中にポンとアート作品を置くという形にも違和感がある。「何もないほうが、ただこの土地を見るほうがずっと面白いんじゃないか」と思ったりします。
だから、RAUの構想を最初に聞いて、ある土地や都市のなかで「自分がどう生きているか」ということと不可分なところから生まれてくる芸術について考えを深められるんじゃないかと思いました。最初あまりアイディアはなかったんですが、そういうことをやってみたいなと。
それで、ゲストアーティストに来てもらいたいという話になって。三宅さんの名前が2人の間で挙がったんです。
藤原:
ちょうど2019年の12月にも、一度授業に来ていただきましたよね。
三宅唱:
そうですね。
藤原:
そこで三宅さんにレクチャーをしてもらって、『無言日記』や『THE COCKPIT』(2014)の話がものすごく面白かった。『無言日記』の積み重ねから『THE COCKPIT』の最後のシーンができたっていう話も、興味があった。僕の中では、「都市政策」という言葉が持ってる射程のなかに『THE COCKPIT』みたいなものが含まれているような気がしてるんです。『THE COCKPIT』は団地の一部屋でおきる出来事の映画なのだけど、その団地は都市政策がつくった。昔、フランス映画で『憎しみ』(1995)(*6)っていう映画があったんだけど……
*6 マチュー・カソヴィッツ監督。移民や低所得者が住むパリ郊外の公営団地において展開される一夜のドラマを手がかりに、フランスにおける差別の風景を三人の移民青年の視点から描いた。
三宅:
はい、知ってます。
藤原:
公営団地を作った都市政策の結果、地域で生まれるリアクションとしての「憎しみ」。作品自体はそんな社会への怒りを描いてるんだけど、そのリアクションも含めて都市政策なんじゃないかなと、僕は思っています。今、日本で都市政策と言うと、何か施策がうまくいったかいかないかってことばっかりが取り沙汰されがちだけど、人間が何かを作ろうとして人為的に環境を改変して、結果としてそれに対する暮らしとか文化とかリアクションが生まれてくるところまでが、都市政策の射程なのかなと。
だから、芸術というものが生きていく上で重要なことだと考えるならば、都市政策と芸術が応答し合う必要がある。日本では都市をテーマにした美術・芸術が扱う範囲が、現象とか表層的な部分に留まるという印象があったので、都市政策という、僕たち自身が無意識のうちに参画してしまっている開発行為に対して、芸術学の立場から意識的にアプローチするのは重要なことかなと。それを三宅さんと議論するのは、なんか面白いんじゃないかなと思ってしまったんです。
三宅:
正直な話、都市や土木、詩という言葉を使ってなにか考えることをこれまでしてこなかったので、RAUの今回のテーマは「遠い?」というのが出発点でした。
ただ、映画は都市や芸術の一部でもあるので、無関係なわけはない。また僕自身、いろんな事柄に出入りできるから映画をやってるというところもありますし、他のジャンルの方たちと話したりすることはこれまでも刺激になってきました。専門的には考えられませんが、映画なりの角度からちょっとでもその核心に触れられたらいいなと思って参加しました。
藤原:
まあ、三宅さんだけじゃなくて僕や平倉さんも本当に手探りでやってますから。その手探り感もいいなと思ってるんですけど。そういえば、RAUを始めたときに、ちょうど今年から平倉さんと僕の二人でやっている大学院の座学『都市と芸術』が並行していました。
平倉:
ああ、そうですね。
藤原:
水曜日の夜にRAUをやってるんですけど、木曜日の午前中に『都市と芸術』があるから2日連続で話す。だから、途中で大学で話したか、RAUで話したか、わからなくなったりもしたんですが、あるとき、「大学って、こういうことのためにあるのかも」と思えてきたんです。
授業というのは決まったカリキュラムに基づいて教えるものですが、その前日にRAUの議論の場でいろいろなインプットが起きるから、それについて考えた影響が、翌日の授業にも生じる。ただでさえ対話型の座学という形式で応答的なのに、前日に入ってきた急な思考に対してもリアクションしていく形になるし、さらにRAUの受講生が授業を聴講しに来てるから、よけい熱が冷めやらぬ状態で授業が始まる。そうなるとこっちも「授業だから」って決まりきったことを教えるわけにはいかないな……という緊張感があって、とてもよかったです。「土木」とか「詩」を途中で、明確に定義していったりしたのも、横で授業が動いていたからかもしれないなと思います。