202010071000_「土木と詩」というテーマはどこからきたのか 〜RAUディレクター・ゲストアーティスト座談会 2

平倉圭:

三宅さんに『無言日記』のスタイルでワークショップをお願いしよう、とは最初に考えてたんですけど、その後コロナの影響でオンラインになって。先行きが何も見えなかったんですよね。その状態でワークショップの形式だけ決めこむより、まずは議論することを優先しようと。「土木と詩」っていうテーマをどの段階かで立てたんだけど、それも実体がわからないから、共有してじっくり考えようということで、最初の2か月くらいは「インプット期間」と位置づけて。藤原さんが「土木」というテーマで、「横浜の地形に対してどういうふうに物が配置されているか」っていう話をしたり……あと何があったかな。

三宅唱:

共同制作に関して、グループに別れて議論した回とか。

平倉:

それもありましたね。40人くらいいる参加者が、テーマについて毎回別のグループに分かれてとにかく話して、そのたびに自己紹介も起こるから、自己紹介を3、4回繰り返すみたいな。そこから各自の問題と固有の〈技〉も見えてくる。ハードといえばハードだったんだけど、結果的にオンラインの場所で、その場限りじゃない本当の問題が共有できた気がする。「この人たちとやってくんだ」っていう雰囲気を作っていった2か月でしたね。

藤原徹平:

最初に三宅さんからのミッション(*7)でみんなが写真を撮ってきたのって、いつだったっけ?

*7 第3回の講義で三宅唱が「写真を一枚提出してください」というお題を出した。

三宅:

7月末くらいですかね。オリンピックの開催予定期間が最初の撮影期間になっていたから。

藤原:

僕、「写真を一枚ずつ撮ってくる」の回に、想像よりずっと写真がよくて、すごくテンションが上がったんですよね。「いけるんじゃないかって」ってワクワクしました。

平倉:

写真一枚だけ、の他に条件がありましたっけ?

三宅:

今までインプットで話されてきたことに応答してみるっていう、それだけですね。

藤原:

それまで何の話してたんだっけ? 僕が平倉さんにロバート・スミッソンの『スパイラル・ジェッティ』(1970)のレクチャーをお願いしたのが第1回?

平倉:

第2回です。初回が『THE COCKPIT』(三宅唱監督、2014)の話。

藤原:

あ、そうだ。みんなで見たんだよね。

映画『THE COCKPIT』より ©︎Aichi Arts Center,Pigdom

平倉:

『THE COCKPIT』の最終シーンで“Curve Death Match”っていう曲を作っていくんだけど……アパートの靴箱の上で即興的に作ったボールゲームがあって、そのボールの軌跡が描くカーブをラップで歌う言葉が、川に沿ってカーブする高速道路の映像に重なる。あの高速はどこですかね?

三宅:

常磐道に向かう高速ですね。隅田川沿いを走り、堀切ジャンクションで左に曲がって今度は荒川と並走するあたり。

平倉:

ああ、隅田川がぐうっと深く曲がるところですね! その映像がすごい必然性で。東京の狭いアパートの中で即席のゲーム盤におけるカーブの戦いについて歌ってた言葉が、隅田川沿いをグウーッとカーブして走る映像にバシっと繋がってて。その段階で「土木と詩」っていう言葉が頭にあったかどうかわからないですけど、そういう高速道路の経験みたいなものと、ダイアグラムが引かれた靴箱上のボールの軌跡と、それをラップで歌う詩と、っていうスケールの異なる経験をカーブが繋いでいるのが面白いっていう話を、初回にして。その後、それと似たようなものがあるよっていう流れで、私が『スパイラル・ジェッティ』を紹介したんです。ロバート・スミッソンが螺旋状の突堤を土木工事で作るんだけど、それをヘリコプターに乗って上空からグルグル撮影しながら、自作の詩を重ねるという。そうした紹介からインプットを始めていったんですね。それで、第3回に向けて「じゃあ、写真撮ろう」って。「詩とは何か」っていうことは、まだ特に定義も議論もせず。

藤原:

そうでしたね。定義の話で言えば、RAUを始める前くらいから気になっていたのが、ヘーゲルによるの芸術の分類(*8)。この中で「第一芸術」が建築なんですよ。それからだんだん抽象度が上がっていって、最後に出てくるのが詩なんです。

*8 ヘーゲルは『美学講義』において、芸術を精神の自由の度合いに応じて建築→彫刻→絵画→音楽→詩の順に分類し、段階が進むほどに高度化していくという体系を構築した。

三宅:

はい。

藤原:

僕は建築家ですが、「建築」は建築に内在する問題では定義できないのではないかとずっと感じています。二十世紀の建築家はそれを定義するために「空間」という概念を作ったんですけど、その曖昧さというか掴みどころのなさは結果的に建築を難しくしてる、というかつまらなくしてると思う。空間では建築を完全には定義できないとしたら、ヘーゲルの言う「第一芸術=建築」を拡張したほうが良いのではという気がしている。

その建築に先行する、土木とか環境とか、まずそこを定義していかないと、建築の定義はうまくいかない。そこから先の問題も全部うまくいってないんじゃないかという気がしてくる。人間が捉えようとしてきた「人間の創造」ということの範囲がヘーゲルの時代と今では全然違うのに、未だに出発点がそこにあることに問題があるのではないかと、ここ2年くらい考えていて。

平倉:

うんうん。

藤原:

それで、平倉さんとの授業で「この授業の目的はヘーゲルが『第一芸術=建築』って言ったことを疑って、芸術の始まりのスケールを変えることにあるんだ」みたいなことを、学生に宣言したんですよ。「土木と音楽とか、土木と詩みたいな、次元の違う問題を繋ぐ論理を探すのが、これからの大学院生の仕事だ」ということを言って。そこでなんとなく、「土木と詩」という言葉を使ったんですよね。

平倉:

うん、両極みたいな。

藤原:

そうそう。両極、一番遠いものを繋いでみるっていうので、そこで出てきたキーワードです。最初はそれをこのRAUでやるという意識はそんなになかったんだけど、今まで繋がっていなかったスケール同士をつないでいくような概念を探すことなんじゃないかということで、それでロバート・スミッソンを紹介してもらったんです。

平倉:

それが、第3回までに起きたこと。

ロングショットの想像力を持つこと

三宅:

最初は土木も詩もよくわからないところから出発して、オンラインのコミュニケーションにも不慣れだったし、どうすれば「講師/参加者」のような壁を壊してフラットな雰囲気にできるかなと不安もあったんですが、みなさんと同じテーマで課題を作ったりそれについて話し始めたあたりから、どんどんRAUの面白さがわかってきた。「わからなさ」をすぐ解決しようと焦らずに、いろんな「わからなさ」を寄せ集め合ってそれを共有しながら進めていくことが楽しみになってきて、手応えを感じましたね。

藤原:

そう。あと、RAUの参加者のレベルの高さっていうのがあって。

三宅:

ええ、本当に。

藤原:

「写真のすごさとは何か」という話題が出たのは思い出深いです。参加者の高野ユリカさんがミニレクチャーをしてくれて、それを見た平倉さんから「今まで写真ってよくわからなかったけど、すごい写真ってこういうことなのか」とコメントが漏れてきて。そのレベルの応答が受講生からあるっていうのが、このRAUのすごさだと思いました。

平倉:

写真一枚課題のとき、高速道路を撮った写真について、藤原さんが「横浜の地形にどういうふうに高速道路が配置されているのか」という観点でコメントをされたんですよ。あれは、RAUが動いた瞬間のひとつだったかな。

藤原:

そうでした。例えば東京と横浜では、どちらも地形は豊かなんですけどリズムが違うという話で。地形のつくるうねりの襞のリズムが違うんですよ。横須賀や鎌倉と横浜もまた全然違う。横須賀だと、リズムが急になっていくというか激しくなっていて、谷が小さくなるんですけど、横浜くらいだとまだ国分寺崖線(*9)の影響で谷が緩やかなんですよね。その緩やかな谷の中を、土木構築物が縫うようにして計画されている。横浜って、巨大な貨物倉庫ととか高速道路がバンバン通ってるんですけど、よく見ると地形の谷を埋める形で高速が通ってたりとか、トンネルだったのが橋になって、またトンネルになって……みたいなことがよくある。地形のリズムに沿ってトンネルと橋を交互に置き換えながら土木が計画されてて、地形と土木の応答、ないしは融合みたいなことが、横浜の都市計画の特徴だと思っていたんですよね。そういうふうに見ると、実は世界中の土木と地形の関係に、なんというか一緒にダンスを踊るような、リズムや特徴があるんですよ。

*9 武蔵野台地を多摩川が10万年以上かけて侵食していった結果形成された、総延長30kmにもわたって段丘が続くなだらかな斜面地。

平倉:

うん。

藤原:

香港は香港らしい自然物との関係があるし、例えばパリなんかも都市が大理石の岩盤の上に乗っているし、ニューヨークも岩盤の上に乗っかっている。「その岩盤がセントラルパークに露出してる」っていう話を平倉さんがしてくれたけど、実は人間が住む場所にはそういう地球との行為というか操作があって、「結局、それが土木の本質なんじゃないか」というのがRAUの議論の中で、僕の中でも先鋭化していって、定義ができた。RAUでは今、〈土木〉を「土地の形質の変更にかかわる技」と定義してるんですけど、多分ここまで土木を端的に定義できたことは歴史上ないと思うんです(笑)。これは建築にも関わる大きな定義だったなと思っています。

平倉:

このへんで、三宅さんが「土木にピンと来た」みたいなことをたしかおっしゃっていた。

三宅:

そうですね。高野さんが撮った写真と藤原さんの話で、ああそうかとかなり視界が広がりました。〈土木〉について考えるときの想像力は、映画の言葉で言うならば、「ロングショットの想像力」が要求されるんだなと気がつきました。

藤原:

「ロングショットの想像力」?

三宅:

広い視界をどう持つか、もっと言えば、ある出来事やアクションの結果をそれが起きた空間の中にどう位置付けるか、ということでしょうか。言い換えると、アクションと空間を切り離さずに、その空間・土地がなければそのアクションは生まれていない、という認識から生まれるのがロングショット。もちろん、全てを一度に捉えることはできないので「フレーム外の想像力」というのも同時に要求されると思いました。「どこからどこまでを〈土地〉と呼ぶか」という問いを孕んだショット、言葉ならそれを想像するための言葉があるかどうか。

一方、土地の〈形質〉にフォーカスする時には、いわばクロースアップショットの想像力が要求される。『THE COCKPIT』で言うと、ラストの外の実景シークエンスがロングショットの想像力による〈土地〉の顕れだとすると、対して室内シークエンスはクロースアップショットによって捉えられた〈形質〉の顕れになっている、というかんじでしょうか。こんな風に自作を捉えたことはなかったので、RAUによって初めて生まれた認識ですが。とにかく、ロングショットとクロースアップショットの想像力の足し算が、〈土木〉を捉えるための1歩目になりそうだと、可能性を感じ始めたんです。それから、マノエル・ド・オリヴェイラの監督第1作『ドウロ河』や『画家と町』なども個人的には刺激になりましたし、土木を探すようにして映画を観たりしていました。

藤原:

今のお話で、三宅さんの『やくたたず』(2010)を思い出しました。札幌の物語なんだけど、札幌ではなく北海道の冬の海を撮ってるということがあの映画において画期的で。フレーム外にあるものへの想像力を喚起させるために、絶対に必要なシーンですよね。あれがあることで、札幌という都市に対するリアリティが全然違う。

そういうことは映画にけっこうあって、コーエン兄弟の『ファーゴ』(1996)も、大雪原のシーンに転換することによって、それまでなんとなく慣れてきた物語から全然知らない場所に連れて行かれて、自分との距離を突きつけられる。人間は必ず目で見ているものに慣れていって、しまうんだけど、一方でその目の外側への想像力も持てる。今の話を聞いてると、そこが三宅さんの映画のすごく本質的な部分で、見ている人にフレームの外を想像させるための技があるのかなと思いました。

平倉:

第4回から始まったワークショップで、10秒動画の課題が出ましたよね。ここまでの議論を踏まえて「土木と詩」をテーマに10秒撮ってこいと。私も、横浜の起伏が多いところに住んでいるから「よし撮るぞ」と思ったんですが、実際10秒で撮ってみると難しいんですよね。地形が撮れない。さっきの話でいうロングショットで撮るためには、すごく高いところに登るとか、クレーンで持ち上げるとか、すごーく長回しするとか、そういうことが必要なんだけど、10秒で徒歩だからそれはできない。体では今自分がどういう高さまで登ってきて息が切れてて、といったことがわかっているのに、それを撮ることができない。映像には自分の体感が写らないということに、まず「おお」と思った。

それでもなんとか撮ろうと思って急な階段を登ってみると、崖地の途中に突き出た、売りに出されている空き地があったんですよ。そこに引き寄せられるようにふらふら歩いて、下を覗き込むみたいにして撮って。そしたら、ワークショップでその映像が流れたときに、「なんだか飛び降りそう」という反応があったんですよね。体感は直に写らないんだけど、それでも何か撮れてるっていうか、伝わる部分がある。それがすごく面白かったですね。

三宅:

なるほど。たしかに、ある「撮れなさ」「写らなさ」に一回直面して、そこからどうブレークスルーできるのかと立ち止まった時に、RAUのメンバーたちの体や言葉が助けになってまた一歩前へと進めたような気がします。8月から9月にかけての出来事でしたね。

平倉:

さっき香港とかニューヨークの形質、土地の違いの話がありましたけど、直接には何も写っていないと思っていても、やっぱりそこにある具体的な何かが写って、蓄積されていくんですよね。みんなで10秒動画を撮ったあとにInstagramのアカウントを作って、撮影を続けて共有しようということになったんですが、そこに香港の参加者が撮った映像が溜まっていったりする。そうすると、私は香港に行ったことがないんだけど、なんだか香港という土地がだんだんわかってくる……みたいなことがある。一つひとつのショットに全部が写ってるわけじゃないんだけど、撮影が続いていくなかで、自分がいない土地の、目には見えない広がりが、他者の体と映像を通してちょっと体に入ってくるということが起き始めた感じがありますね。

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202010071000_集団的身体から紡ぎ出されてきた言葉 〜RAUディレクター・ゲストアーティスト座談会 3

平倉圭:

10秒動画をやった後に、みんなで撮りためた動画を素材として共有して、一人ひとりがこの素材全体から映像作品を作ろうということになった。それが最初の「RAUとしてのアウトプット」の試みですね。

藤原徹平:

自分で撮った映像だけまとめる場合と人の映像も一緒にまとめる場合で、感覚がだいぶ違うな……という話になりましたよね。自分で撮ったものはひとつの身体性で撮れてるからわかりやすいんだけど、人のものを混ぜていくと難しい、というような。
「何を撮るか」というテーマを設定していくと、人が撮った映像も素材として選択できるようになるということもわかってきた。そのあたりをもうちょっと深掘りしていくと、みんなで共有できる身体性とは何なのかということが見えてくるのかもしれない。

三宅唱:

途中で〈土木〉を動詞に落とし込んでいく、という試みをやりましたよね。あれはどういうきっかけでしたっけ?

藤原:

受講生のユニ・ホン・シャープさんが「濡らす」という話を出してくれたことでしたね。

三宅:

そうだ。僕が最初、「雨の日はぜひみんな撮ってください」っていうオーダーを出したんですね。というのも、雨は土地の上を流れていくから、雨の行方を辿るようなカットを並べて編集すると、その土地の輪郭のようなものが見えてくるんじゃないかな、と考えてみたんです。すると、ユニさんが「フランスは最近雨が降らないんで、濡らして撮りました」って言って。そのとき「そうか、『濡らす』。それが〈技〉なんだ」っていう発見があった。「雨が降る」という言葉に留まると自然現象をただ眺めている感じでしかないわけだけど、「濡れる」という言葉で表現すると土地の「肌」のディテールが官能的に浮かび上がってくるような感触がある。そこからさらに進んで「濡らす」という自動詞にしたときに、グッと〈技〉が見えてきた……〈技〉って人の能動的なアクションのことか!と。そして、これは「濡らす」以外にもあるんじゃないか!と盛り上がったんですよね。個人的には、この夏は「動詞を探し続けてた」という感じがあります。

藤原:

なるほど、「濡らす」というのが、人間による土地の形質の変更に関わっているってことですね。

三宅:

そうそう。そこからすぐ「掘る」という言葉が出て、穴掘りチーム(*10)が生まれたり。

*10 受講生から自発的に生まれた活動。ユニ・ホン・シャープと関優花による共同制作として、複数の受講生とともに、それぞれの活動拠点の地面に自分の身長の1/10の深さの穴を掘った。

藤原:

それで言えば「メンテナンス」の話題も出ましたね。最終的には今「ケア」っていう言葉になってるけど、要するに、土地に対する「ケア」っていうことが土地の形質に関わっているという認識。土地が常に不可逆的に変化していることに対してケアをする……維持しようとしたり、あるいはそれを積極的に変えようとしたり、補修したりとか、そういう変更に関わろうとすること自体が土木なんですよね。その前提を共有してないと「濡らすことは土木だ!」って言っても何だかわからないけど、あの「雨が降らないんで濡らしてみました」というユニさんの応答は本当にすばらしくクリエイティブだったと思う。

三宅:

つい先日みんなの作品をまとめて見ましたが、大げさでなく予想以上に興奮しました。RAUが始まったときには未知だった風景、知らなかった体験がここにあるぞ、と。

僕にとっての映画の体験というのは、単純に言うと「映画館に入って映画を見て外に出たら、さっきまでの風景が全然違って見える」かどうかが重要で。映画館に入る前は単なる通行人や風景だったものが「うわっ、あのおばあちゃん、超素敵」「夕方の光がこんなに美しいのか」みたいにリフレッシュされる感覚が訪れるかどうか、それが映画の面白さの僕なりの定義というか、皮膚感覚としてあるんです。最終日に上がってきた作品の大半でそういう経験ができたし、RAUという機会を通して明確に、自分が住んでいる街……街っていう言い方ももはや違う、土地や「大地」みたいなことなのかな、その認識が変わったという気持ちがある。それも、自分ひとりで変わったんじゃなくて、RAUのメンバーたちの作品によって、あるいは、とともに変わるという経験ができたと僕は思っています。

平倉:

今年は全員オンラインで、同じ物理的空間を共有していないという状況の中で、結果的に濃い共同性が生まれたのはすごいですよね。ワークショップの時間の後も「放課後」って言って、毎回のように三宅さんも残ってくれて、23時くらいまでずーっと、みんなで話をしているじゃないですか。

藤原:

けっこう、意識朦朧としてくるときもありますね。

平倉:

自分ひとりの中で追いかけきれないことも、とにかく話して考えるという時間が生まれて。やっぱり直接会えないからなのか、とにかく話すことを求める気持ちもあるし。ただ単に一緒にいて慣れ親しんだ感じが生まれてくるというよりは、何か具体的にアイディアを出したり、撮ったものを互いに見たりっていうことを通じて、考えとか興味、問題意識を媒介として人が時間をかけて繋がっていくということが、直接会ってないことでなんだかすごく、本当に起きたなという感じがします。私も大学でワークショップみたいな授業を今まで何度もやってきているんですけど、二、三日で終わっちゃうことも多くて、楽しいんだけど一過性の風みたいなものになってるような感覚があった。でも、今回は考え方とか、都市の見え方が変わるところまで本当にきてるなと思います。自分の体とか歩き方とか、転び方も、変わってきたと思う。

三宅:

そうですね。たぶんオンラインだろうがオフラインだろうが、大して目的がなければ”繋がり”感以外は特に何も生まれないと思うんですが、RAUには「土木と詩」というテーマがあって、しかもそもそも全員があんまりわかってない、というのがポイントだったんだなと改めて思います。一方的な伝達やレクチャーにはなり得ない。

自分自身も手探りだから、「俺、先週と違うこと言ってるな!」っていうことがたくさんあって。大丈夫かな?と立場上反省したりもしたときもあったけれど、別に誰も問題にしないし、むしろ、前に進んだことになるっていう(笑)。「これがアリな環境ってなかなかないよなあ」と思いましたね。しかも、会ったことない人たちとそういう信頼関係がいつのまにか生まれた。もともとの予定時間と放課後の時間でやり取りを重ねることで、僕もどんどん不安や気負いがなくなって皆さんを信頼して、一貫性はなくても考えついたことはとりあえず試しに言ってみるというモードに切り替えられたのが、本当に幸福なことだったと思います。

藤原:

こういう対話の場って、ありそうでないですよね。大学は評価を基準にした言葉を選んでしまうし、普通にプロジェクトで何かを作るときには締め切りがあったりするし、プロジェクトも実は最後に何を作るかが決まっていることが多いので、どうしても予定調和的な対話になっちゃう。だけど、RAUは本当に自由に話せて、しかもそれに対して創造的な応答が出てきて、素晴らしいなと思っています。これからこのプログラムを冊子にしたり、シンポジウムをしたりと「まとめ」に入るんだけど、この素晴らしさをまとめるためにどうすればいいのか、まとめる過程で何を選んで何を切り捨てればいいのか。いやー、ちょっと僕にはまだ全然わからないな……。

世界はなぜ〈詩〉を必要とするのか

平倉:

RAUのホームページには「YARD(ヤード)」という名前をつけましたが、これも途中で出てきた言葉で。横浜の沿岸は一帯が埋め立てられていて、コンテナとか資材とか、とんでもなくスケールが大きいモノの置き場所になっている。ああいう場所はすごく面白いよねという話になって。その資材置き場とか、作業場という意味の「ヤード」が途中からキーワードになっていったんですよね。で、ホームページを作ろうという話になったときに、RAUで作ってる素材をとにかくドンと置く場所というイメージがしっくりきたので、「ヤード」と名づけた。ウェブなので外部に対して開けてはいるんだけど、「これはこういうものです」ってプレゼンするような感じでも、少なくとも今はないのかなと。ここで生まれている素材を、何になるのかはまだわからないままにゴロゴロ置いてる感じですね。

三宅:

ものごとを伝えるには「物語」という形がまずありますよね。でも今回は「土木と物語」ではなく「土木と詩」であることがやっぱり参考になるのかなと思っています。途中で松尾芭蕉の話がありましたよね?

平倉:

はい。

三宅:

五七五の本文は知っていましたが、実はその前に前文があるんだっていうことを僕はRAUではじめて知って、参加者の作品も「前文プラス本文」が一つの型になっていきましたが、プロジェクト全体としてもその「前文プラス本文」の呼応関係みたいなものがうまく作れれば、伝わる回路になるのではないかな、と。詩という言葉は、人によって定義やイメージがあまりにまちまちなので安易には使えないというのも、今回の面白さでしたが。

平倉:

そうですよね。〈土木〉の定義があった次の回で、「じゃあ、平倉さん〈詩〉を定義して」って言われて。「いや無理だし、無茶だな〜」と思いつつも(笑)、この場所でやるなら、「詩」を言葉の表現に限定しない形で定義しなきゃなと思ったんです。

そこで仮に私が出した拡張的定義が、「詩は、ゼロ人称の心物の傾きを制作する文である」というものでした。ポイントはまず「文である」というところ。5世紀末頃に、中国南朝梁の劉勰という人が書いた『文心雕龍』っていう文学理論書があるんですが、その中で、〈文〉というのはこの地球上にあるパターンすべてのこと、山脈も川の流れも虎の模様も雲の色どりも、全部〈文〉なんだということが書かれている。そのありとあらゆる〈文〉の中に、人間の言葉もあるわけです。この観点だと、土木も〈文〉だということになる。

第二のポイントは「心物の傾き」で、これは思いや志といった「心の傾き」と、土地の傾斜といった「物の傾き」を区別せずに扱ってしまう。さっきの映像の話で私が崖の上で「おお」って思うとき、心も傾いているけど、体も傾いてて、それを支える周囲の環境も傾いているわけですよね。心はそもそも体の中だけにはなく、体の外の物質的環境に広がっているし、環境によって作られてもいる。その「心/物」にまたがる「傾き」の操作を、もう〈詩〉と呼んでしまおうと。これによって土木じたいを詩と呼ぶことが可能になる。

最後のポイント、「ゼロ人称」というのは日本文学者の藤井貞和の言葉を借りたんですけど、詩じたいから生み出される表現主体のことです。そこに、私としては「私の消滅」という意味も込めたい。例えば、松尾芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」っていう句、あれは先に地形の記述から始まるんですよね(*11)。山形の山間を水が流れていて、崖地にある滝やお堂が垣間見えて、最後にぐっと「水みなぎつて船あやうし」、と。そう述べてから、「五月雨をあつめて早し最上川」の句がくる。地形の描写から、地形を集めるように流れてきた雨で水勢が強くなり、水面が大きく盛り上がって、舟に乗ってる自分が傾く。危うい。そこでふっと、描写している芭蕉という「私」が消えて、「五月雨をあつめて早し最上川」という、世界全体の傾きを表した文になる。その世界には、自分と環境、心と物の傾きが両方含まれていて、だけど私視点じゃないっていう。句自体が生み出すこの、自分と環境、心と物をともに含んだ世界の眺めをゼロ人称と呼び、その傾きを作るのが詩だと定義してみた。土木もそのように、世界に心物の傾きを作るんじゃないか。――そういう様々な傾きの断片をとりあえず集めていく場所として、「ヤード」があると考えています。

*11 「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙ゝに落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。」(『おくのほそ道』より)

藤原:

僕としては、ただそこにマテリアルを提示する場であるということで、参加した人たちがこれから何かをやっていくときに「ヤード」が助けになるといいなというのがありました。

あともうひとつ重要なのは、例えば、フルクサス(*12)でもブラック・マウンテン・カレッジ(*13)でも何でもいいんですけど、芸術に大きな役割を果たした共同体とか集合体って、結局、何やってたんだかよくわからないんですよね。

*12 1960年代前半にアメリカの美術家ジョージ・マチューナスが主導し、欧米を中心に世界的な展開をみせた芸術ムーブメント、またグループを指す。日本では一柳慧、オノ・ヨーコ、小杉武久、塩見允枝子らが参加。美術家だけでなく詩人や音楽家などさまざまなジャンルの芸術家が同時多発的に関与し、のちのコンセプチュアル・アートの潮流へと拡散していった。

*13 1933年、米国ノースカロライナに設立された芸術の学校。ジョン・ケージ、バックミンスター・フラーなどを講師陣として招き、フラーのジオデシック・ドームの最初の製作(1948)、ケージの最初のイヴェントである《シアター・ピース#1》(1952)などを制作。教育機関とは言ったが、実質的には領域横断的・双方向的な思考と共同制作の実践の場であった。

平倉:

うん(笑)。

藤原:

だけどやっぱり「仲間だったんだな」っていう感じの、それぞれに通底する大きな世界観みたいなものを伴った芸術運動だなとは思う。我々もそういうところを目指してるんだと思うんですけど、今年の制作物が多少ちんぷんかんぷんなものであっても、ここに参加した人たちが作る、三宅さんがRAUに参加したから生まれてくる視点がそこにあるかもしれないし、平倉さんが作る次の言葉とか僕が作る次の建築とか、そういうものを後から見たときに「一番重要だったのはRAUなんじゃないか」みたいなことを、後世の、我々が作った制作物を分析する人が考えるためのマテリアルになっていればいい。「藤原が言ってること、ほとんどRAUの内容じゃないか」みたいな批評が出てきたら最高だなと思うんですよね。そうなりかねないくらいのインパクトを、僕にとってはRAUは持ってる。

三宅:

「三宅の映画には土木が映ってる」って言われてみたい!

藤原平倉三宅

(笑)。

藤原:

ひとりの中心的な思想家が何か言葉を書いて、それに沿って制作するという集団じゃなくて、みんなで「この世界とは何なのか」っていうことを一緒に考えているところに、このRAUの特徴がある。

松尾芭蕉が面白いんじゃないかと思ってると平倉さんに、ずっと言ってたのも、ほぼ勘で、しかし、平倉さんはそれを深堀して、すごい鉱脈を見つけてきてくれた。あの流れは本当に痺れました。

中谷宇吉郎(*14)が「科学とは何か」ってことを書いた短い文章で、科学とはあくまで人間の眼を通じた世界の姿で、本当は世界は科学が定義するようにはなってないかもしれないし、おそらくなっていないだろう……と明言しているんですよね。物理学が定義するすべての法則というのは「人間の眼にそう捉えられる」っていうこと。つまり〈文〉ですよね。科学とは〈文〉だって、中谷さんはほぼ定義している。それが科学の本質であり、限界であるっていう。だから世界を世界のままに語るのが科学だと思ったら大間違いだということを、『科学の方法』(岩波書店, 1958)という本で書いている。科学者はそこから理解しなければ始まらない、と。僕は東洋的な〈文〉の考え方に中谷さんの考えも含まれているように感じます。だとすると、この「ゼロ人称の心身の傾きを制作する文」っていうのは、科学の前提にもつながるすごく重要な定義かもしれない。

*14 物理学者、著述家。1936年に世界で初めて人工雪の製作に成功し、低温科学の発展に大きく寄与した。

次なる思考、次なる制作へ

藤原:

このプログラムは「都市と芸術の応答体2020」と銘打っているので、2020年度の事業というまとまりは一応ある。でも、受講生が「これから何をやっていきたい」という企画書を全員出してくれていたり、僕自身もRAUを通じて「次なる建築」「新しい土木」というようなことが見えてきた。これらの活動は単に2020年に収まるものではないと思っています。

特に、この間の講義で受講生の持田敦子さんが「土木は生活を仮定する」という定義を作品説明のなかで使っていたんですが、それを聞いて、仮定するものの将来の時間軸を考えることで土木の規模は変わるんだなとも思った。今日そこに座るだけでいいんだったら、ちょっと草を刈ってレジャーシートを敷く程度の形質の変更でいいけど、千年先まで保とうとすると大きなコンクリート壁だったり、塀を作らないと……となるわけで、生活を仮定したときの時間の長さみたいなことの議論が、都市政策では本来なされなくてはならない。それがない中で普段のあらゆる会話ができてしまっているのは、すごく問題だと思うんです。普通に「言葉が通じている」のに、それぞれの仮定が違うために「話が通じていない」というか。「千年という時間の単位に対して、なぜ今対応しなければいけないのか」という話を誰もしない。

なので、RAUの2020年がなにか解を提示し得たかどうかはわからないけど、少なくとも言えるのは、この2020年でひとつ区切りがつくとは到底思えないので、今年の議論を2021年、2022年と継続していかないといけないということですね。そうなると、三宅さんは来年忙しいんでしょうけど、三宅さんとも今年で終わりってことにはならないんじゃないかなと思う。

三宅:

お、おお?

藤原平倉三宅

(笑)。

三宅:

でも、そうしたいですね。今年の変化ぶりを思うと「置いてかないで!」って感じ。「今どうなってるか、ちょっと教えてよ」みたいに追っかけ続けたいです。

藤原:

今の自分は、来年違う人と、全然違うRAUをやるとか、ちょっと想像できない感じにはなってます(笑)。

三宅:

僕個人としては、2020年にこれがスタートしたというのも大きかったのかもしれません。自分の中にこの10年くらいあった生きてることのモヤモヤみたいなものが、RAUによって少し解決したような気がするんです。

そのモヤモヤは、大きくふたつあって。ひとつは、昨日あったことすらもう誰も覚えていないような時間の早さというか「現在しかない」という感覚。もうひとつは、この世にはすでにあまりにも映像がたくさんあって、その価値もどんどん暴落しているということ。それが重なって、「今、ここ」がどうでもいいものになっちゃってモヤモヤする、というかんじです。そこで、RAUの議論の途中で、藤原さんがコンポジションに対する批判についてお話されたことがありましたよね?「切り取った『今』だけで物事を扱うことにはもはや何の意味もないんじゃないか」とはっきり口にすることで、突破口が見えた。

そういうことを踏まえて今回の「土木と詩」について考えたときに、さっき言った「この外にもあるんだ」っていう空間的な広がりと、形質のディテールの広がりと、あと時間の前後の広がり……「形質の変更」という言葉が定義にありましたけど、変更するってことは前と後があるってことだから。つまり、「今」目の前にみえている物事を支える空間的・時間的広がりをどう捉えるかということが、モヤモヤから自分を救える方法かもしれない、と。

例えば今朝、横国のキャンパスを一緒に歩かせてもらっただけでも、以前ならきっと「ああ、緑がいっぱいできれいだな」と思うだけだったのが、藤原さんのガイドによって、ここがもともとゴルフ場の敷地で、時代とともにあれができてこれができて、今後はきっとこうなって……という広がりのなかで見られるようになり、するともう全然見えている世界が変わるし、土地の広がりと時間の広がりで自分の体も変わるというか、位置付けが変わる。きっとこれはキャンパス内の話に留まらず、もっと大きな、例えば神奈川県単位で「海と山との間に〈今、ここ〉がある」という感覚にも繋がっていくんだと思います。そういう経験を通して、不思議とRAU以前のモヤモヤが解消されたというか、「今後はそのようにしてものを見ていきたい」っていう感覚が明確に生まれたんです。なので、RAUはこれからも、それをより広げてみていく、よりディテールをみていくようにして進んでいくんだろうなと、僕自身は勝手に期待してます。

この日は座談会の前に、藤原徹平が横浜国立大学の沿革やキャンパスの成り立ちを説明しながら学内を歩く見学ツアーが行われた。

藤原:

平倉さんは?

平倉:

今の話がいい感じだったので、私は別にいいかな……。

三宅:

ちょっと(笑)。

平倉:

キャンパスの話も入ったし(笑)。いや、本当にね、私もRAUが始まってからすごく歩くようになったんですよね。近所の地形を縦断して、無意味に登り降りしたり。

藤原:

修験道ですね。

平倉:

そうそう。でも、登り降りすると土地の形が体に入ってきて「ここは見通しの効かない崖地の細い階段だけど、大きい起伏のこの辺にきっといるんだな」とか「この山の向こうにも、もうひとつ谷と山があって、その後ろに海があるんだな」みたいに、見えていなくても「ある」っていうことがわかる。そう感じるのが楽しくなるし、大事なのはそういうことなんだなと思いましたね。

藤原:

明確な中心もなく全体的に手探りだったからこそ、本当に「学びたい」「考えたい」「このモヤモヤについて更に深く掘り下げたい」という人がたくさん集まって、それをやれる場所になったなという印象があります。自分が素直に感じてる疑問とか悩みも正直にオープンにして、そこからみんな手探りで映像を撮ったり、考えたり、言葉にしたりしていて。漠然とした言い方ですが「いい感じ」だなと。でも、この「いい感じ」が作れたのはRAUの財産ですよね。

三宅:

そうですね。日本だけじゃなくフランスやらベルリンやら香港やらにいる、きっと出会わなかった人が同じ問題についてめちゃくちゃ真剣に考え続けてくれるっていう安心感がすごくあった。

藤原:

そう、安心感がありますよね。信頼と安心感が。

三宅:

そうそう。モヤモヤの内容は個々で違うとは思うけれど、何らかの「わからなさ」を抱えている方たち同士で、自分の体と、プラス、他の人の体を使って一緒に考えるっていう感じがありましたね。

藤原:

うん。みんなの思考はこれからも深まっていくと思いますよ。この間の受講生の板谷幸歩さんの映像もショッキングだったし。

三宅:

あれ、ショックだったなー。悔しくてしょうがない。

藤原平倉三宅

(笑)。

三宅:

ロングショットとクロースアップショットをいかに組み合わせるかこそが勝負だろうと、さっき話したように僕は一度すっかり結論づけかけていたのだけれど、おもいっきり覆されましたからね! その手があったか、すごい、と。ロケ地の選択ぶりといい、撮影・編集の選択ぶりといい、強烈な刺激を受けました。

藤原:

考えるだけじゃなくて全員で感じて、それを形に定着させようとする。本当にいい共同体になっているなあという感じがあるので、楽しいですよ。集団としての体として、いつまでも生き続けてほしいなと思います。

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森を進み、道をつくる

202010031800_『都市と芸術の応答体2020』について

『都市と芸術の応答体2020』(以下、『RAU2020』)は、COVID-19の世界的流行を受け、プログラムをオンライン開催することになりました。160名の応募者から専門も経験も異なる44名の参加者を迎えました。参加者はアーティスト、建築家、舞台制作者、キュレーター、大学院生、大学生等から成り、国内だけでなくパリ、ベルリン、香港、コペンハーゲンなど各国の都市から参加しています。オンラインでの開催を強みとし、実験的な議論の場を模索しています。

2020年は映画監督の三宅唱氏をゲストアーティストに迎えています。三宅氏はデビュー以来、その映画にさまざまな都市の固有の姿を映しとってきた監督です。今回のプログラムでは、三宅氏が2014年から続ける『無言日記』の手法をベースに、映像撮影・編集を介したミーティングとワークショップを行っています。「都市と芸術」の現在を実践的に思考するために、「土木と詩」というキーワードを立てるところから、ミーティングは始まりました。

『RAU2020』では「土木」を「土地の形質の変更にかかわる技」、「詩」を「心物の傾きを制作する文」という仕方で仮に拡張的に定義しています。対極にあるようにも思われる「土木」と「詩」を同時に思考することは、それまでとは異なる見方で都市と芸術を捉える身体をつくっていく過程となりました。オンラインホワイトボードmiroや共有のInstagramを用い、オンラインにおける集団的な思考と制作の可能性を様々に探求しています。

残りの半年間、私たちは思考の成果を伝えるための「冊子」制作に入ります。たんなる報告書ではなく、それじたいが集合的な思考と制作の場となるような冊子がどのように可能か。そこからどのような応答を都市と芸術に引き起こしていけるか。それがこれからの課題です。

まずはこれから行われる冊子の編集に向けて、『RAU2020』が生み出しているマテリアルの一部を、この「ヤード」(作業場・資材置き場)に開放します。ヤードは、議論の中で記された「TEXT」、miroから切り出されてきた「IMAGE」、編集以前の都市の断片を映した「MOVIE」からなります。『RAU2020』の集合的身体が立ち上がるプロセスが、このヤード内の相互リンクで可視化されています。議論の積み重ねにより生まれた拡がりを、訪れてみてください。

これらのマテリアルは、2021年2月下旬に予定されるシンポジウムに向けて、冊子へと運びだされます。どのように形を成していくのか、今後の展開を見守って頂けましたら幸いです。

藤原徹平・平倉圭・山川陸・染谷有紀

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西山の壁